「社会問題」。その言葉からあなたはどんな言葉を連想するだろうか。一般的な認識として、政治、経済、環境、教育などの範疇で数えきれないほどの問題を日本は抱えている。
昨今の日本を賑わせたものとしては、主に大津市の中学校を発端とするいじめ問題、原発再稼働の是非を巡る問題、米軍兵士による相次ぐ暴行事件、天井版崩落事故において明らかになったインフラの未整備などがあげられるだろう。しかしこれは公になったものであり、世の中には未だ潜在的な社会問題が混在しているはずである。過激な言い方をしてしまえば、私たちは社会問題に気付かぬうちに加担しているのかもしれない。
そんな中で、我々社会問題班は学生ならではの立場、視点においてそれぞれが社会問題と定義したものをあぶりだすことを目的としている。特に「立場」という言葉は重要であるかもしれない。我々が普段目や耳にする言論を発しているもの、特にマスコミ機関はその立場上多くのしがらみに絡まれることで発することができない言論があると考えられる。私たち学生という身分はあらゆるしがらみから解放された、最も自由な言論を発することのできる身分であるのかもしれない。その立場を生かさない手はないだろう。
社会における事象において誰かが「問題」と認識した時点で、それは「社会問題」に転化するのではないだろうか。私たちがその問題に一つでも多くアプローチし、多くの人に問題と認識してもらい、解決に近づくことを願ってやまない。
(木村 光寿)