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特集・東日本大震災と早稲田大学 <第四回>東日本大震災 支援ボランティアへ行って 佐野公亮[2011/7/27]

 私は、4月23日から29日にかけて一週間、東日本大震災の支援ボランティアへ行った。実際にボランティアがどのような形態で活動していたのかを報告したい。また、被災地での活動を通じて、実際に目で見て耳で聞いて自分なりに感じたことを伝えたい。

 今回、私は東京都が主催する「都民ボランティア」に参加した。第四期派遣団体として参加し、震災で壊滅的な被害を受けた岩手県と宮城県へ、東京都庁からバスで向かった。
 私は岩手県の一関市にある「一関保健センター」という施設に滞在した。主な活動場所は、一関市から車で約一時間かかる宮城県気仙沼市であった。地域ごとに設立されている災害ボランティアセンターから活動内容を伝えられる。
 ボランティアセンターは、現地に訪れた人間に対して仕事の割り当てや指示を行い、活動を地域ごとで統括する。個人単位で現地に行く場合も、ボランティアセンターに直接行き、活動内容の指示を受けることになる。震災直後、支援参加者の受け入れが困難になった理由は、緊急に設立されたボランティアセンターにおける人員不足に加えて、活動希望者が殺到したためである。

 気仙沼は津波の甚大な被害を受け、多くの家屋が流された。海岸部には工場が建ち並んでいたために震災時は火災も起きた。私が現地に滞在した時期は震災から約一カ月が経過していたが、沿岸部付近は壊滅状態で、車が通る道路を除いたほぼすべての建物が跡形もなく流されてしまっていた。沿岸から離れた内陸部においても、河川付近の町や家屋は、逆流してきた川の氾濫によって被害を受けていた。建物は残っているが一階部分が浸水に遭い、家具がほとんど流されてしまっている家も多く見られた。ニュースや新聞で得ていた情報からイメージしていた深刻な被害状況が、そのまま目の前に広がっていた。まさに現実を突きつけられたような感覚だった。

現地での活動

 実際にボランティアが行った活動は、倒壊した建物の瓦礫の撤去や、津波によって流れてきたヘドロの掻きだし作業、支援物資の運搬などであった。現地での作業は肉体労働が多い。瓦礫には釘が出ている危険物も多く、たんすなどの大きな家具を運び出さなければならない。特に、畳は水を吸っていて、とても重かった。ヘドロには工場から流れてきたオイルや、沿岸部の水産加工工場の腐敗した魚が多く混在し、匂いも相当きつい。
 これらの活動を作業着、長靴、防塵マスク、ゴーグルやヘルメットを装着して行わなければいけないため、自分が想像していた以上に肉体に負担がかかった。また、年齢層の高い参加者が予想以上に多く、連日の力作業から腰の痛みを訴える人などもいた。参加者の半数近くを占めていた女性にとってはさらに重労働であったと思う。現地での活動は避難所での炊き出し作業があり、普段家事をしている女性が中心となって活躍していた。活動内容によって性別や年齢などを考慮して、それぞれに適した作業が振り分けられていたことが印象的であった。

ボランティア団体、被災者の方との交流

 ボランティアでは、参加者の多くの人間と交流する。見ず知らずの人と互いに協力して作業するため、同じ団体の参加者とのコミュニケ―ションは不可欠である。今回の一週間にわたる共同生活の中で、活動の報告や反省などについて話し合い、ボランティアがどうあるべきか、震災復興のために自分たちに何ができるのかということについて互いに考える機会を得ることができた。

 今回の参加者の多くが社会人であったことは私にとって驚きだった。社会人の方に話を聞いてみると、有給休暇をもらって活動に参加している人や、会社を休んでボランティアに行く社員を優遇させる「ボランティア休暇」を利用して参加している人もいた。
 私が参加した団体は、学生などの年齢の若い人が意外に少なかった。全体の半分以上の参加者が社会人や年配の方だったように思う。現地の活動は力作業が多いため、体力のある若者や学生は歓迎される。体力に自信があり、少しでもボランティアに前向きに感じられた方は、ぜひ参加していただきたいと思う。
一週間という短期間でボランティアが実際に貢献できたことは復興のために必要なすべての作業のうち、ほんのわずかでしかない。瓦礫の撤去とヘドロの清掃作業をすべて終えるまでに一体どれほどの時間がかかるのだろうか。現地の深刻な状況は、復興に要する時間が私たちの想像をはるかに超えることを物語っていた。  ボランティアができることは瓦礫の撤去やヘドロの掻きだし、物資運搬などであるが、これらの大量に残る単純作業を誰かがやらなければ復興は進まない。ボランティアができる仕事は多く残されている。今後も長期的なスパンで、しかも継続的に復興支援を行っていくことが重要であるということを痛感させられた。  一方、震災後のボランティア人口の推移を見てみると現状はどうだろうか。5月の大型連休以降、被災地での活動者の合計は減少の推移をたどっている。岩手県・宮城県・福島県の各市町村に設置された災害ボランティアセンターを経由して活動したボランティアの合計は、「全国社会福祉協議会」によると5月2日~8日の5万3600人をピークに急激に減少し、16日~22日の週は3万2900人で、ピーク時に比べ4割近く減っている。→(http://www.saigaivc.com/)  震災直後、ボランティアを志願する人々が殺到し、被災地側が受け入れ不可能になった状況から一変しているという事実をこの数値は示している。現在も多くのボランティアセンターが一般人を受け入れている。ボランティア人口が減少しているという現状を、果たしてどれだけの人間が認知しているのだろうか。数値を使ったデータを用いて、これらの情報をメディアが大々的に報道する必要性があると思う。多くの人間が現状を認識すれば、危機感を感じ、自分にできることを考え、自らボランティアに参加しようとする人が現れるかもしれない。また、ある人は継続的に募金活動をしたり、自宅での節電を徹底しようと思うかもしれない。情報は様々な行動を促すだろう。  学生を対象に集めたボランティア団体も実際にあるそうだ。ここでは「日本財団学生ボランティア」という学生ボランティア団体のサイトを紹介する。→(http://www.gakuvo.jp/)
 また、早稲田大学では学生を対象に「東日本大震災復興支援プロジェクト」という学生支援ボランティアを主催している→(http://www.waseda.jp/wavoc/support/)

 団体の参加者だけでなく、現地にいる被災者の方とも接する。ボランティアセンターに作業を依頼した被災者の方の家を訪れて作業するのだが、依頼者の方から「頑張って」「ありがとう」などの励ましや感謝の言葉を多くかけられた。震災時の被災した経験や、現在の心境などについて話してくださったのだが、その時に自分は何と言葉をかけてよいかわからなかった。実際、ボランティアとして参加している自分の方が、逆に地元の人々から励まされていたように感じる。震災により私たちの想像をはるかに超えた苦しみや悲しみを抱えているはずなのにも関わらず、現地の人々の前向きな気持ちや、心の強さを感じさせられた。

ボランティア人口の減少

 一週間という短期間でボランティアが実際に貢献できたことは復興のために必要なすべての作業のうち、ほんのわずかでしかない。瓦礫の撤去とヘドロの清掃作業をすべて終えるまでに一体どれほどの時間がかかるのだろうか。現地の深刻な状況は、復興に要する時間が私たちの想像をはるかに超えることを物語っていた。
 ボランティアができることは瓦礫の撤去やヘドロの掻きだし、物資運搬などであるが、これらの大量に残る単純作業を誰かがやらなければ復興は進まない。ボランティアができる仕事は多く残されている。今後も長期的なスパンで、しかも継続的に復興支援を行っていくことが重要であるということを痛感させられた。

   一方、震災後のボランティア人口の推移を見てみると現状はどうだろうか。5月の大型連休以降、被災地での活動者の合計は減少の推移をたどっている。岩手県・宮城県・福島県の各市町村に設置された災害ボランティアセンターを経由して活動したボランティアの合計は、「全国社会福祉協議会」によると5月2日~8日の5万3600人をピークに急激に減少し、16日~22日の週は3万2900人で、ピーク時に比べ4割近く減っている。→(http://www.saigaivc.com/)
 震災直後、ボランティアを志願する人々が殺到し、被災地側が受け入れ不可能になった状況から一変しているという事実をこの数値は示している。現在も多くのボランティアセンターが一般人を受け入れている。ボランティア人口が減少しているという現状を、果たしてどれだけの人間が認知しているのだろうか。数値を使ったデータを用いて、これらの情報をメディアが大々的に報道する必要性があると思う。多くの人間が現状を認識すれば、危機感を感じ、自分にできることを考え、自らボランティアに参加しようとする人が現れるかもしれない。また、ある人は継続的に募金活動をしたり、自宅での節電を徹底しようと思うかもしれない。情報は様々な行動を促すだろう。

日本人として

 東日本大震災は、我々にもう一度「日本人」であるという国民意識や、「日本」で生きているという事実を再認識させるものだと思う。至る所で「がんばろう、日本」というスローガンを目にする。実際に世界各国から日本に向けて多くの義援金が送られ、今では世界最大被援助国となるまでに日本は世界に助けられている。グローバル化が進み、日本は兵役義務などもなく国民意識を比較的、持ちにくい環境であったと思う。自分自身も今回ほど日本への帰属意識を感じたことはないように思う。最近、個人的に帰属意識を感じたエピソードを強いて挙げるなら、昨年のワールドカップで岡田JAPANが予選を突破した時くらいで、日常的にそのような意識を感じることはなかった。
 今、日本は世界から注目されている。大災害を受けた日本が復興に向けて、いかに立ち直ることができるのかが試されているのではないか。海外メディアから震災後の日本人の行動が称賛されて初めて、まさに互いを助け合う精神こそが誇るべき日本の文化であるということに気づく。自分の国に対してプライドを持ち、逆境を乗り越えて地道に復興を実現していくことができれば、大災害から復興を成し遂げた国として世界に対する良き手本となるだろう。日本が戦後、先進国へと復興した歴史があるように、今回の震災もまた、同じように試練を乗り越えていかなければならない。

支援の形

 今回、私はボランティアという支援の経験を通じて、ありのままの光景を目にし、現実に少しでも向き合うことができたように思う。ボランティアでは現状を見ることで初めて、本当の意味で事実を知ることができるし、自分なりに考えるきっかけを得ることができる。
 ボランティアは言葉の意味通り、自発的に行う活動のことである。決して強要されるべきものではない。そして、ボランティアは自らの意志で、支援を手伝う立場として参加しているのであって、主役ではない。被災地での復興の主役は地元の被災者の方である。ボランティアはそれを脇役としてサポートするという立場を忘れてはならない。
 また、支援の形は様々である。現地に行くことだけが復興支援ではなくて、募金や節電などのように、身近に個人単位でできる活動はいくらでもある。

 東日本大震災が与えた影響について個人が考える。そして何よりも大切なことは、次に行動を起こすことだと思う。例えばボランティアにしてみても、自分が行ってみたいと思うならきっかけは何であれ構わないと思うし、それがどれだけ偽善であったとしても行動しないよりは全然いい。近くに困っている、苦しんでいる人がいたら自然に助けたいと思う。純粋に少しでも自分がそう思えたなら行動するべきであると思う。しかもそれを長期的に継続していくことである。五年先も十年先も、自分が震災直後に持った感情や考えを変わらずに持ち続け、実行に移していくことが大切であると思う。
 支援する形は色々あって、自分なりの方法がある。職業や地域によっても方法は異なるだろう。企業で働く人にとっては経済を支えるべく、それぞれの職場で仕事に打ち込む。また、アスリートであれば試合のパフォーマンスで観客を魅了し、一人でも多くの人を勇気づけることができるように日々の練習に取り組むことが最善の支援の形かもしれない。今回の震災は、それぞれ個人によって異なる社会貢献の形が何であるかについて、改めて一人一人が考えるきっかけを与えてくれたのではないか。

参考
都民ボランティア(http://www.tvac.or.jp/)
日本財団学生ボランティア(http://www.gakuvo.jp/)
全国社会福祉協議会(http://www.saigaivc.com/)
東日本大震災復興支援プロジェクト(http://www.waseda.jp/wavoc/support/)

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