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今、デモに起きている変化

 東日本大震災で原発事故が起こった後、各地でデモ活動が始まっている。官邸前で金曜日に行われるデモなど、定期的な動きも出てきた。これらのデモにはどんな人が参加しているのか、どこに行こうとしているのか、その空気を感じたくて7/29(日)の「脱原発 国会大包囲」と名付けられたデモに行ってきた。

 主催は官邸前での抗議を呼び掛けてきた「首都圏反原発連合」。午後4時に日比谷公園から出発し、東電本店前などを通る。最後に参加者達で国会を取り囲む趣旨だ。私が集合場所の日比谷公園に着いたのは午後3時すぎ。ビラ配りや署名活動の人たちが声を張り上げている。そして目につくのはたくさんの旗だ。在日フランス人会、○○支部、土建屋まである。「No nukes with Love」のプラカードを掲げる男性に声をかけてみた。藤田です、と名前を教えてくれる。フェイスブックで集まったボランティア仲間5人と参加する予定だという。30代~40代で、笑顔の絶えないメンバーだ。「何回かやると装備が進化していくんだよね」と笑いながら麦茶のペットボトルまでくれた。

 彼らと一緒に、いざ集合場所のメイン会場である日比谷公会堂前へ。どこからデモ隊が動き出すのか分からないような人混みの中、シュプレヒコールが鳴り響く。「ゲーンパツイラナイ」、「サイカドーハンタイ」。「言いたい人、いませんか!?」と至る所に設置されたスピーカーから大声が響くと、藤田さんが「やるかよ」と一言つぶやいた。過激なパフォーマンスは、デモに気軽に参加する人を呼び込めないと考えている。「非暴力の精神でね」と笑顔の藤田さんに、このデモがどうなったら成功と思うか聞いてみた。「一人でも多くの人が目覚めること」。大変なことが起きてるんだと気付けば自分で勉強する、というのは藤田さん自身の経験からだ。勉強の情報源はもっぱらインターネット。陰謀論もあふれてますね、と私が言うと「そういうの好き?」とにかっと笑った。「新聞やテレビはうそばっかり」。

 「でも、見なさすぎたのかもしれない」。あなたも新聞やテレビが情報統制をしていると思いますかと聞くと、うなってからこう答えたのは駒村菜穂子さん(30代女性)だ。茨城県で子どもにリトミックを教えている。自分がデモに参加するなんて思ってもみなかった、という。ボランティアを通じて藤田さんと知り合ったことがきっかけで、今回デモ初参加だ。同じような情報を、「本能で選んでしまうこともあると思う」と話す。

 ようやく日比谷公園から出られたのは午後5時過ぎだった。西日がまぶしい中、暑いですねと言い合いながら車道を歩いていると、みんなで散歩をしているような気分になる。「皆さんこれが東電ですよ!」しばらく歩くとそんな声が聞こえてきた。ビルの前で拡声器を持つ男性の、「言いたいこと、ないですか!?」の訴えに「いっぱいあるよ!」と声が飛ぶ。一方で「サギョーインヲツカイステニスルナ!」というシュプレヒコールを噛んでしまった女の人に、がんばれーと笑顔交じりの声援が飛ぶような和やかさもある。

 経済産業省、と書かれたビルの前で一生懸命「ゲンパツハンタイ!」と叫ぶ男の子たち6人に気付いた。小学生以下の小さい子はちらほら見かけたが、15、6歳に見える参加者に出会ったのは初めてだった。みんな、都内にある同じ高校の一年生だという。どうして原発デモに参加しているのか聞かせて欲しいと私が言うと、どんどん意見を述べてくれる。本などで勉強して放射能の恐ろしさを知った、本当は原発がなくても電力は足りるのではないか。

 「俺たちはまだ選挙権もないから、こういうところでちゃんと闘わなきゃいけないと思っていて」と答えてくれたのは鈴木岳士くん(16)だ。「国民が真実を知って考えることが大事」という。真実を知るために何が必要だと思うか聞いてみると、わいわい議論が始まり教育とメディアという答えが出てきた。社会の授業は議論中心で、自分の意見をつくる場だと思っている。先生の授業に影響されているところがあると思うか、と聞くと口ぐちに良い先生ですよ、と言いながらうなずく。じゃああるべきメディアってなんだろう、と話していると小松恵太くん(16)が「でも俺は」とかぶせてくる。「メディアを見る国民の目がしっかりとしていればいいと思う」の声にみんなもうなずく。

 彼らが勢い込んで自分の意見を話すその端々には、まだ勉強不足ですけど、という言葉が聞こえる。自分たちの考えが、「若い」と思われることがあるのも知っている。

 それでも、周りを見まわしながら「この半分が若者でもいいと思う」と言う。彼らがデモで感じているのは、これが自分たちの国で起こっていることなんだと認識する場としての大切さだ。「俺たちが生まれてから国民の意思で何かが変わったのを見たことない」。今がそのチャンスにならなければいけないと考える。

 予定では国会議事堂の包囲は午後7時。かすかに議事堂の先端が見えるあたりでデモ隊は止まってしまった。歩道沿いにずらっとならぶ警察官に、「道を開けろ!」の怒声が飛ぶ。

 午後の和やかさは、もうない。周りにはいつの間にかぽつぽつとろうそくがともり始めた。

 デモ隊から見上げる夜空のビル群は、高くて堅く感じる。「野田さんも本当に稼働を続けたいならここに出てきて話せばいいのに」と小松くんがつぶやく。

 拡声器をもった人たちはのぼりを振り回しながらどなる。自分にはどうにもできない大きなものが動いている、と言う。その“大きなもの”は時にはアメリカであったり県知事であったり、原子力規制委員会であったりする。そんなどなり声を受け入れられない人は多いだろう。

 けれど今回私は、原発事故を機にデモに参加しはじめた人たちの話を聞けた。

 彼らは団体に所属しているわけではない。デモという同じ場にいて声を出していても、その理由や目的は別々のものを抱えていた。共通しているのは、「これしか手段がない」という思いだ。

 彼らがしたいのは、デモのためのデモではない。デモは特殊な人がするものだ、騒ぎたいだけだろうと斜に構えて笑うことは、もうできない空気がここには流れている。(永野真奈)

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