1940年新潟生まれ。中央大学法学部時代にお世話になった先輩(「読売新聞」の記者)の勧めで、卒業後、1962年読売テレビに入局。制作部に配属が決まり、23歳の時に「四角い空」でデビュー。以後数多くのドラマを手がけ、社会派として評されるようになる。数多くの賞を獲得、近年では2005年に「砦なき者」で芸術選奨文部化学大臣賞、2007年には紫綬褒章を受章する。最近でこそ「愛の流刑地」や「源氏物語 千年の謎」等、映画を手がけている印象がある鶴橋氏だが、「テレビに対する恩義」を感じているという。 読売テレビに入局してからは、脚本家の池端俊策氏が活躍する一方で、故・野沢尚氏がその脇で成長し、二人が鶴橋氏の両輪となり、作品を手がけてきた。業界の中で「映画では黒澤組、テレビでは鶴橋組」と言われ、鶴橋氏を支える盤石なスタッフ陣をまとめあげて撮影にかかる様子を、鶴橋氏自身はジャズの「ジャムセッション」になぞらえて表現する。「今日は誰が一番輝いているかを朝見るのも、楽しみの一つだったね」と語る。また読売テレビ社員としての側面を持つ一方で、常に外に出て撮影していた。そのため、賞を獲得し続ける代わりに制作費を他より多くもらっている自身を、「僕は(差別を受けても、結果を出すことで評価される)カール・ルイスだった。読売テレビっていう旗を掲げていつも走っている」と例える。 「『テレビ』という言葉の語源は、『遠くのものを見ること』」と語る鶴橋氏は、作品づくりを通して人々の心、そして何より自身の心の遠さを感じると言う。大学時代の安保闘争で感じた「悲しさや、変わり様のないもの」、そういったメッセージが「砦なき者」をはじめとする数々の作品に色濃く出ていると語る。画面の向こう側にいる「遠い」視聴者に対して、どんなものを投げかければ当たってくれるのか、今になってもわからないという。 最後に今のテレビに対しての意見を伺った。「テレビマンの志をもう一回立て直せ。言葉を持て、自分の考えを伝えることに専念しろ」。様々なメディアが混在する時代を迎え、かつて「社会の窓」であったテレビが「額縁」と化しつつあることに警鐘を鳴らす。それぞれのメディアが個別の役割をしっかりと担うことが大切なのだと語る。 インタビュワー主担当:亀山剛貴 副担当:中村茉由