1931年ソウル生まれ。戦争中に父を亡くし、戦後の大混乱をソウルで経験。「世の中の評価基準が全く180度転換した」と8月15日の強烈な記憶を語る。日本の石川県へ引揚げ、母子家庭で貧しい生活を送った。金沢美術工芸大学に入学し、美術科で油絵を専攻。芸術は「嫌いではなかった」という程度だったが、卒業制作の油絵は学校の買い上げとなった。1953年には卒業し上京、教授の一人であった大智浩(おおちひろし)氏に三年間師事しデザインセンスを磨く。懸賞生活を続けていた頃、「広告やるなら電通が良い」という友人の助言を受け、吉田秀雄社長へ”伝説の”直談判を敢行。「階段上がりかけた所を後ろから追っかけて行って、『社長、就職したいんですが』って言ったんだよ」。
結局1957年に電通入社。吉田社長の先見の明と緻密な計画力に影響を受ける。新聞広告からテレビCMが主力となる中で、クリエイティブ部門で研鑽を重ね、プレゼンの勝率はトップを誇った。1980年からはクリエイティブ局長として活躍。生涯を通して800以上の賞をコンペティションで獲得した。
プレゼンに勝てるデザインとは何か。「グッドデザインしか考えていない新聞広告表現じゃ人を動かせない」と氏は断言する。「グラフィックデザイナーは、グッドデザインをグッド・コミュニュケーションと間違えている。…目的はコミュニュケーションなんです、グッドデザインは手段」。
1991年に電通を退職。電通ではスポンサーのために、美術大学の教授としては学生のために精力的に活動。現在も多摩美術大学名誉教授や、産業広告大学講師としてデザインの世界で活躍する一方で、自分のための作品で個展を開いている。
今の電通については、「ITの分野での新しいビジネスモデルが完成途中だろうと思う」と分析する。「デザインをデジタル化するんでなく、デジタルをデザインで作るという発想が必要です」と次世代を担うデザイナーへの期待を語った。
インタビュワー主担当:宮野翔平 副担当:日比野晃、竹内幸絵