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シリーズ・放送人インタビュー2011 <第6回>杉田成道氏

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 1943年、愛知県に生まれた杉田成道氏は、実家が地方新聞を営んでいた影響で1967年にフジテレビに入社。もともと報道を志望していたが、配属されたドラマ部でドラマ制作の面白さに触れる。まだPDシステムが主流だったように、番組制作業務が横断的で自由に行われていた当時、杉田氏は入社後まもない頃から数多くの業務に触れ、入社後三年ほどですでに番組の演出にまで関わった。一時『産経新聞』へ異動するが三年でフジテレビへ戻り、ほぼ一貫して映像や舞台の演出に携わる。学生運動や全共闘の活動が盛んだった、慶応大学の学生時代や入社当時の時代の影響を色濃く受け、「常に壊して新しいものを作っていく」破壊と創造の精神をもって、テレビ番組の演出では常に新しい表現を求め、いかにそれを創っていくかに没頭したという。1973年に「肝っ玉捕物帖」で演出家としてデビュー。その後、1981年から21年続く「北の国から」をはじめとするドラマの演出や、舞台演出や映画監督でも手腕を発揮し、1992年の舞台『ひだまりの樹』や、1988年の映画デビュー作『優駿 ORACIÓN』、2001年に日本映画衛星放送株式会社の代表取締役社長に就任した後も、映画『最後の忠臣蔵』で監督を務めるなど、ドラマ、映画、舞台にまたがる幅広い分野に挑戦、活躍する。

 「プロデューサーの場合はちょっと違うんですけど、演出家っていうのは個人主張ですよ」と語るように、演出や表現には技術のほかに経験などといったベースが必要だが、その中でも重要なのが演出家の人生の捉え方や個性、我であると語る。杉田氏は技術などに関しては倉本聡や三木のり平から学んだところは大きいが、コアとなっているのは人生を一貫して変わらない「幼児期からの何か」、「対人間に対する反応の仕方」であると語る。

 「(視聴率が)1ケタの番組が2ケタになるために、血のにじむような思いをするわけだけど、そうやって実はみんな作品をダメにしている」と、視聴率を下にした評価方法に懐疑的な見方をとる。それは、社会がマスからパーソナルなものへ変化したこと、インターネットやメールの登場、地デジ化により、現在は視聴率のもつ意味合いが曖昧になったためと語る。また、社会の変化の中で、テレビという存在は過渡期にあるという。「テレビは映す箱で、中身=テレビ=箱だったのが変わってくるでしょう」。「これから5年ないし10年かけてテレビは間違いなく変わっていく」。

 インタビュワー
主担当:松本哲弥 副担当:中村茉由   

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