1931年福岡生まれ。戦争や米軍占領期を経験し、反米感情を強く抱き続けた。自らを「真っ赤っか」だったと振り返る大蔵氏の一橋大学時代は「革命を起こそう」と思い、第二外国語としてロシア語を学んだ。学生運動に参加するために講義を欠席することもしばしばあったという。大学卒業後は大学院へ進学し就職活動をするも、「赤い学生」として企業から避けられた。そんな時に、たまたまラジオ東京の先輩と街で偶然出会い、そので入社試験会場へ。それがTBSに入局(1957年)するきっかけ、かつ唯一の理由だと語る。 「赤坂村」とテレビが揶揄されていた当時のTBSで、大蔵氏は報道部へと配属される。ラジオや新聞がジャーナリズムの正統とされていた時代、新聞三社で構成されたTBSは、元々テレビ局社員として入った大蔵氏から見れば、「無能な人が多かった」という。英語が堪能であった大蔵氏は、英BBCへ特派員として駐在(1962~66)することになる。イギリスでは、新聞同士の相互批判や著作権など、日本に比べて先進的な報道を肌で感じた。当時の日本では考えられない共産党の演説がイギリスでは公然と行われているのを見て、自由を感じたと語る。その後、ロシア語を学んでいたことからモスクワへ赴く(1976~78)。中央主導の共産党・社会主義を目の当たりにし失望、反共へと転換する。一抹の希望を抱いた社会主義も、豊かなアメリカへの訪問で完全に消え失せる。それまで強く持っていた反米感情も、親切なアメリカの風土に触れることでなくなり、今は文化の面では大好きだという。 1987年、TBSのネットワークの強化等の変革をしきりに訴えてきた大蔵氏だが、企業体質に失望して繰上定年により退社。かつては報道で優位にあったTBSだが、現状を「自分がいた会社ですからね、情けないです」と嘆く。その後も東洋大学学部長や杉並区教育委員を務めるなど、現在まで精力的に活動している。大蔵氏の今後の夢は、医者になることだという。 インタビュワー主担当:亀山剛貴 副担当:松本哲弥