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シリーズ・放送人インタビュー2011 <第9回>緒方悟氏

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 緒方悟氏は1937年に三重県に生を受け、役人だった父親に連れられ5,6歳の頃に家族で満州へと移り住んだ。終戦の直前、8月10日に父親と別れて満洲から逃れ、当時ソ連占領下で緊張状態にあった平壌(ピョンヤン)での過酷な潜伏生活を経て、ソウルを経由し1年をかけて日本へと帰り着く。その後、熊本や横浜の親戚のもとへ身を寄せる。父親はシベリア抑留により帰らぬ人となった。

 少年時代、熱烈な映画好きだった緒方悟氏は、映画の仕事を志し大学を受験するも実を結ばなかった。それでも諦めずにシナリオ研究所にて勉強をしていた際、縁があって共同テレビジョンにてアルバイトをした後、1961年に入社。撮影部へ配属される。学生闘争のただ中、放送の技術革新も進展していた当時は会社にマニュアルのようなものはなく、先輩の助言や手探りの努力でカメラマンとして成長していった。1965年のベトナム戦争取材や1973年のイスラエルの事件に関して重信房子への取材、1975年のニューヨーク勤務など、数々の海外勤務を通じて好奇心や行動力、「何を言われてもノーと言わない」、「何事にも動じない」心構えや、「全てを一人でこなす」能力を培い、後に制作プロデューサーとして活躍する土台を築いた。

 1981年に、高視聴率を記録し、20年続く長寿番組となる「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」でプロデューサーとしてのスタートを切った後、1984年の映画『子猫物語』や1988年の『優駿 ORACIÓN』の制作など、様々な番組制作でプロデューサーとしての手腕を発揮した。フジテレビにて1988年に編成局企画制作部長、1993年に役員待遇情報企画室長を歴任した後、1997年にフジ・クリエーティブ・コーポレーションでの専務取締役、2001年にテレビ熊本にて代表取締役社長として勤務。番組制作に対する意識改革や制作環境の整備、強化に取り組む。

 現在のテレビについては、人材や番組制作への取り組み方というテレビを支える環境を憂慮しつつも、「テレビは家庭での最大の娯楽」、「やっぱり地上波は最強のメディアだと、マスメディアだと思うしね、これからもそうであると思う」と、テレビの可能性はいまだ大きいと考えている。テレビはその時代、時代の人が作っていくもの、そして自分がどう社会、人生、時代と向き合うかだと述べている。「逃げちゃだめだよな、絶対。逃げないことだよ。自信を持って作ればいい(笑)」と番組制作のための姿勢について語る。

 50年を超えるテレビとの付き合いは、「苦しくて、ストレスが溜まり、自分が情けなくなったこともあったけど、楽しかった」。そしてテレビという存在について、「テレビは恋人だね(笑)。家族だね」と話す。

   インタビュワー
主担当:松本哲弥 副担当:所準之助  

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