高校時代に映画同好会を設立するなど、映画が大好きだった仲築間氏。フランス映画を観たいがために、高校の試験に替え玉を立てて退学処分になる。中央大学第二法学部入学後も映画への熱は冷めることなく、映画監督になるべく法律はそっちのけで脚本の勉強に勤しんだ。その後、脚本を学ぶために大学を中途退学し、映画人の先輩の勧めで1959年に日本テレビに入局。ここで今まで勤しんできた脚本の勉強が活きることとなり評価される。またその頃、有名な右翼の人たちにかわいがられていたという。1970年には民放労連日本テレビ労働組合の副委員長に。「他の候補がそのうち出てくるから、それまでの間だけ」と頼まれただけで、立候補する気は全くなかったという。その時の様子を「『労働組合に人材はいないのか』って。それぐらい酷かったのよ、僕は」と振り返る。一、二年で辞めるつもりだった労組副委員長だったが、「人間の『ギスギス感』から『仲良し感』に変えていくこと」にやりがいを見出し、本腰を据えて勉強するようになる。 番組に対するスポンサーからの弾圧事件がきっかけで、メディアに対する危機感を募らせる。現在のテレビの最大の問題として、テレビ局が視聴者の声という「外の風」に当たらないようにしていることを挙げる。テレビ局内と視聴者の間に存在する温度差を少しでも縮めるため、「ザ・ワイド」などの番組を通して、視聴者の声を積極的に取り入れようと心がけた。一方で、調査が甘く危険な情報を提供してしまったことによる視聴者からの反響で、テレビの影響力を再認識した。そうしたことを踏まえ、視聴率至上主義の下で「大事なことをちゃんと言わない」メディアの責任、スポンサー企業の社会的な責任を問いかけ、「『放送』の使命とは何なのだ、というところに一度立ち返ってみる必要がある」と訴える。そして今後、テレビ局や企業に対して、メディアがどうあるべきか、ということを訴えかけていくという。 インタビュワー主担当:亀山剛貴 副担当:金澤智