台湾で生まれた村上光一氏は幼少期から映画に興味を持っていた。就職活動も映画関係の仕事を考えていたものの、日活でのアルバイトを雰囲気の違いを感じ路線変更する。結果的にフジテレビに就職が決まり、入社直後は海外映画の吹き替えの担当であった。 その後、編成へ異動となる。当時のフジテレビは視聴率など低迷していたが、社長の鹿内春雄氏が改革に乗り出し、村上氏は編成としてその一端を担っていた。「ソフトメーカーとしてただ番組を作るだけじゃなくて、そこから付随する色んなマルチユースをしたらいいんじゃないかって、番組を芯にして。ワンソフトマルチユースっていう発想。だから主題歌をやる、こっちでは本を作る、それからビデオを売る。そういう形でただ番組を作るんじゃなくて、もっともっとマルチに展開してますますソフトメーカーとしての地位を盤石にしようじゃないかっていうことがまず私がやったことかな」。次々とヒット番組を打ち出し、フジテレビの発展を支えた。また編成局長時代には映画の制作にも範囲を広げていった。一つのドラマや番組から多方面に展開していくというカラーをフジテレビに浸透させていった。 2004年には代表取締役に就任し、ライブドア問題に深く関与する。「深刻な時期はありました」と語るように大変な苦労があった。また自由な番組制作故に、放送倫理に関わるような問題も多く発生した。代表取締役という立場ではあるが、自身は編成を経験しているため、制作の気持ちも理解できると語る。そのような微妙な心境に苦労したこともあったという。 テレビ局として番組を制作する上で重要な点についてはこう話す。「いつもテレビを愛していて、だからこそ良いテレビにしなければいけないということ。全員がその気持ちを持つことが大事だと思う」。 インタビュワー主担当:真下信幸 副担当:所隼之介