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シリーズ・広告人インタビュー2012 <第7回>松前洋一氏

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 昭和8年東京生まれの松前洋一氏は、戦時中に栃木県塩原温泉への集団疎開を経験。昭和20年3月に東京へ戻り、東京大空襲を体験。その後、早稲田大学第二政治経済学部に入学。大学在学中は出版社でのアルバイトで本を読む癖が付き、パチンコ店でのアルバイトでは東南アジアの人たちとの関わりの中で「コミュニケーションの原点」を学んだという。輸入映画のポスターをきっかけに広告や宣伝に対しての興味を持ち、昭和33年、電通へ入社。

 ラジオ・テレビ局テレビ営業部に配属され、テレビのモニター業務や、CM素材を放送局へ運搬する仕事を経験。当時急成長していたテレビ放送は、「当時は、初めてのメディアでしょ。だから先輩もよく分からないわけだ。それから先生ももちろんいない。…本読んで勉強しようったって、それも無い。だから会社の中でも先輩も後輩も無い。だからもう社員教育もあまり無く、毎日毎日が戦争みたいな仕事をやっているという事です」。昭和40年にラジオ・テレビ局企画室に異動し、ドラマのプロデューサーとして活躍し始める。昭和42年に放送された初プロデュース作品「意地悪ばあさん」は、企画書を見た時に「あ、これは売れそうだ」と思ったという。「営業に居たから、どうしても『売る』『売りたい』とか『これ売れるかな』とか、そういう感覚が働くわけ」。長谷川町子原作、青島幸男主演のこの作品は、視聴率30%超えを記録。また、市川崑監督、中村敦夫主演の画期的な時代劇「木枯し紋次郎」をヒットさせる。昭和52年には、初の三時間ドラマで「それまでの商品広告から企業広告にコンセプトを改めたトップバッターみたいな作品」である「海は甦る」を日立の提供でプロデュースする。昭和60年にメディア開発局へ異動し、日本と米国の多チャンネル化への対応を研究。花と緑の博覧会室では、開会式、閉会式、会場内でのイベントの編成を担当。平成2年に電通の関係プロダクションC.A.Lへ出向。ドラマや映画のプロデュースを行う。

 現在の広告業界は「広告の世界からコミュニケーションの方に大きなシフトがある」という。電通もコミュニケーション産業の一つで、「コミュニケーション産業は文化とか、やっぱり経済の問題は大きいからやらなければならない。そういう風な方向にシフトしてこれから頑張ってもらいたいなとは思います。そのためには、人材の育成が全てです。」と語った。

   インタビュワー
主担当:山越園子 副担当:木村光寿  

ゼミジャーナル vol.2

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