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シリーズ・広告人インタビュー2012 <第11回>升野龍男氏

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 升野龍男氏は1944年東京都で生まれ。戦後の何もない環境で、自ら遊びを創りだしていたと幼少期を振り返る。慶應義塾出身の父の勧めで、慶應義塾中等部に入学、そのまま慶應義塾大学経済学部へと進学。卒業論文では築地市場を対象に据え、実際に足を運び、見て調査し、生きた経済を学び、その経験が後に役立ったと言う。

 義兄の勧めで、1967年に博報堂に入社。制作を志望し、コピーライターに。文章を書くのが嫌いという苦手意識をバネに、新聞のコピーの言い換えや、『コピー年鑑』を使った地道なトレーニングを行う。25歳の時に、TCC最高新人賞を受賞。コピーディレクター時代には、AGFや三菱電機、ブリヂストンの広告を担当し、コンセプトメイキングを行う。“コーヒーは香りの手紙です”や“タイヤは命を乗せている”等の名コピーが生まれた。また、ユニチャームの「ムーニーちゃん」を担当し、商品開発にも携わり、ライバルの紙おむつを一気に抜いた。

 1979年、35歳の時に経営企画室へ異動。辞めて独立も考えたが、得意先が博報堂になったのだと考え直して博報堂のマーケティングを担う。つぶさな社内調査を通して、生活者のニーズを有形化する“ニーズデザイン”能力という博報堂の社会的存在意義を見出す。「コアなファンクションは“ニーズデザイン”」「さらにそれを組み合わせるのが“マーケティング・エンジニアリング技術”」という博報堂の表現力を優位性とする戦略を明確にし、それを具体的に推進するための組織改編を進めた。

 1986年、統合管理室に異動し、予算編成を担当。収益管理の方法論として単品管理方式を取り入れた。1997年、53歳で経営管理本部法務室長に。堅苦しい法律用語の飛び交う環境に驚き、誰でもが分かる優しい言葉で現場をアドバイスしてゆくため「スイート法務」を掲げる。

 2004年に博報堂を退社。現在は、フィービジネスをベースとした「一人広告会社」を立ち上げ、熊本市のシティブランディングなど、地域おこしを支援している。と同時に、IT化による情報革命、および生活者が情報ハンター化し、かつ誰でもクリエーター化した現実を見据え、情報の双方向性を念頭に入れたブランドイメージ管理や社会的責任広告を広告会社の新たなサービス領域として開発してゆくべきだと語った。

   インタビュワー
主担当:中山恵理 副担当:竹重翔馬  

ゼミジャーナル vol.2

ゼミジャーナル vol.1

シリーズ・記者インタビュー2010

シリーズ・放送人インタビュー2011