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シリーズ・広告人インタビュー2012 <第4回>神郡克彦氏

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  1944年東京都生まれ。ジャーナリストを志し、早稲田大学第一文学部へ入学。当時は大学闘争真っ只中で“ノンポリ”でありがなら学生運動の波に揉まれた。電通には漠然とした興味があった。

 「『電通は日本のCIAだ』というような話もあってね。…政府とか世の中とか、そういうものを動かす部分にいるんじゃないかっていう感覚を持っていたから、面白そうだなって気はしていましたね。」

 1967年電通へ入社。マーケティング局調査部へ配属となる。築地移転作業と同時並行でキャンペーンの広告効果調査などに携わった。当時は大阪万博に象徴される高度経済成長期で、電通の業績も右肩上がり。  「それはまさに、広告業界の発展と共に僕らは生きて来てるって感じ」と当時の様子を振り返る。  米国サンダーバード校への留学、社長秘書を経て、1993年に電通ヨーロッパ社長に就任。10カ国を統合するセンターの社長として、あらゆる企業に直接出向いた。「トップ外交」や「プロ重視の給与システム」など、日本と異なる欧州の広告業界の常識にも直面した。

 「電通ヨーロッパの役員会をやると各国からいろんな人達が出てくる…ドイツの人、フランスの人、イギリスの人、イタリアの人、トルコの人…それを上手くまとめるのは大変でした。」

 八年間のロンドン駐在を終えて東京に戻り、電通総研の副所長に就任。電通フォーラムなどあらゆるイベントを担当した。2004年に電通を引退し、現在は大学教授の立場から広告業界を見つめる。

 メディアの発展により過渡期にある広告業界については、クロスメディア・ストラテジーの実践、つまり「従来のマス媒体とネットのメディアをうまく組み合わせて、効率的な戦略展開を広告ビジネスでやっていく」事がポイントだと語る。広告の構造的変容が起きている転換期にこそ、時代の変化への適応能力が試される。「デファクト・スタンダード(事実上の標準)を早く作れるという事が、一番勝ち組になる条件」と氏は語った。

   インタビュワー
主担当:宮野翔平 副担当:上野愛実  

ゼミジャーナル vol.2

ゼミジャーナル vol.1

シリーズ・記者インタビュー2010

シリーズ・放送人インタビュー2011