1938年台湾台北市生まれの林稔氏は、終戦を機に家族で島根県益田市へと引き揚げる。中学二年生の時に東京に移り、一年の浪人時代を経て慶應大学文学部へと入学。父親の影響を受け、商社を志望し社会学を専攻したが、「言葉」を学びたい、とマスコミへの就職を目指す。インターンシップを経て1962年に博報堂に入社。調査局で「調査のイロハ」を学び、その後営業本部マーケティング部にて新商品開発、広告計画、トータルマーケティング計画などに携わる。「『三不』…人々の『不足』とか『不満』とか『不安』を解消してあげる、そして快適な生活を保証してあげる。これがマーケティングに携わるときの原点ですよ」。「資生堂はね、これはもう勉強させられたな。…この時はずいぶん自分で化粧品試したね。下手な男より知ってるよ(笑)」。1983年にマーケティング局開発部長となり、現場での経験を活かして顧客品質の研究開発を推進。1985年からは人事局教育研修所長として「知恵は惜しみなく奪え」をキーワードにOJTを確立、能力開発を充実させた。1987年には第12営業局局長代理に就任。日頃からの「人脈作り」を欠かさない。「人脈を作って、得意先の課題を先取りして、ビジネスへ繋げる…そういうことが、顧客満足、商品開発ですから」。その後、1994年からは『博報堂ビジネス発達史』の編纂を担当。1998年に博報堂を定年退職、翌年から総合プロモーション会社TOWの顧問に。他のイベント会社に先駆けて環境ISOの取得に尽力した。2010年に引退。
現在は、広告環境の厳しさを感じている。「『この広告したら、どれだけ売れたの?』『この広告がどれだけヒットしたの?』…そればっかりが話題になる。…広告の効果っていうものを、即時効果とキャリーオーバー効果の両方の視点から、もう一回本気で考えていくことが必要だろうと思いますよ」。「言ってみれば、企業の品質が問われるっていうかな。…製品の差別化じゃなくて、企業そのものの品質」。「正直言って、ますます企業が選別される。企業の選別がますます進むだろうって気がします」。
インタビュワー主担当:三ヶ野原晴香 副担当:近藤雅典