福川伸次氏は1932年に東京で生まれる。空襲を経験し、戦時中を勤労動員として過ごす。終戦後は小山台高校に通い、物資の不足する状況を経験する。慶應義塾大学に一旦入った後、東京大学法学部に転じ、1955年に卒業。同年に通商産業省へ入省する。
1964年にジェトロのアムステルダム駐在員として日本の輸出活動を支援。「日本のイメージを外国に植え付けないといけないので、海外PRを充実していきました」と語る。オランダでの生活は学ぶ事が多かったという。帰国後、1978年から大平正芳総理の秘書官を務め、新聞記者対策などを行う。その後、通商産業省貿易局長、大臣官房長、産業政策局長、事務次官と様々な立場に就き、内需の拡大など貿易、景気対策を行う。
事務次官を退官後、神戸製鋼所副社長などを経て1994年に電通総研代表取締役社長兼研究所長に就任。「電通総研は電通という広告会社の子会社ですから、どうやったら広告がうまく浸透するかっていう事が中心でしたが、この人間の価値観というものを深く研究してみる必要があるだろうと考えました」と語り、価値観の国際比較調査を行ったと言う。
2002年には電通顧問に就任。日本の広告のあり方を諸外国の関係に結び付けようとしていたと言う。広告会社の知的貢献を主張し、「電通の人たちは、エージェント意識というか、代理店意識みたいなのが多いんです。要するに広告を下請けするという意識が強いんです。僕はそれではダメなんで、広告をする前に企業の改革、コンサルティング事業を拡充して、知的貢献する中で、広告を位置づける必要があると思うのです」と語った。広告は企業と社会の接点を結ぶ仕事と指摘し、広告会社には「新しい広告媒体に対してどう適応するか、消費者行動、それから市場構造の変化に対しての対応という事が求められていく」と語った。
インタビュワー主担当:佐藤峻一 副担当:舘山知恵