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シリーズ・記者インタビュー2010 <第一回>柴田鉄治氏

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 東京大学理学部を卒業後、1959年に朝日新聞者へ入社。ひたすらに科学者を目指していた柴田氏がジャーナリズムの道を歩んだのは、幼いころの戦争体験があったからだ。
 「マスメディアが、当時は新聞が主でしたが、新聞が全く政府の言いなりになって、国民を戦争へ煽り立てたわけですよね。(中略)戦後、そういうことを、戦前の話を学んで、やっぱりマスメディアがしっかりしていなかったことが、あの戦争の一番の原因であるというのが、私なりの結論なんですよね。」

 入社してみると、新聞社の仕事は面白かったという。主に社会部で活躍。
 「大事件になればなるほど、社会性が非常に大きくなるわけだ。社会部が出て行くわけですよね。だから、そういう意味で私は社会部に行ってよかったなとつくづく思っています。」と振り返る。思い出に残る仕事は、「一に南極、二にアポロ。」だという。理系の素養が活きた仕事だ。

 「世界中を「南極」にしよう!」。柴田氏の名刺に刻まれた言葉だ。
 「南極で感動したのは、世界各国が非常に協調しながら、仲良く科学観測をしているというその姿ですよね。そこには国境もなければ、何にもないんですよね、だからパスポートもいらないわけです。」このような南極の姿に、柴田氏の思う平和の理想形がある。平和と人権を守ることが、ジャーナリストの使命だという。

 現在のジャーナリズムは、良い子すぎると感じている。彼らに、今伝えたいことは、「ジャーナリズムは個が支える」ということだ。
 「ジャーナリズムっていうのは絶対に権力の言う通りにはならんぞっていうのを、一人ひとりの記者が守らなければ守れないんですよ。そのことを一番伝えたい、それだけでいい。」

 これからの世代へ、「次の世代、君らが支えるんだよ。戦争を知らない世代だって、戦争がいかに悲惨なものであるかって、ああいうことをやっちゃいかんのだって。」と語ってくれた。

インタビュワー
主担当:加藤寛貴 副担当:竹原雪乃  

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