2011年3月11日に起こった東日本大震災は、日本の政治・経済だけでなく、文化イベントにも多大なる影響を与えた。夏の風物詩とも言える「東京湾大華火祭」を始め、多くの文化イベントが震災の影響で中止に追い込まれた。それは早稲田大学においても例外ではない。卒業式や校友会主催の卒業式前夜祭、入学式も中止となった。そして早慶戦、早稲田祭と並ぶ、早稲田の三大イベントの一角を担う「本庄~早稲田100キロハイク」も開催が危ぶまれたイベントの一つである。今年で49回目を迎えた「本庄~早稲田100キロハイク」において実行委員長を務めた廣木友明(ひろきともあき)さんに震災が及ぼした影響について話を聞いた。
橋本:それでは早速なのですが、「本庄~早稲田100キロハイク」(以下100ハイ)とはどのようなものなのか教えていただけますか。
廣木:基本的には「仮装をして100キロ歩く」というだけのイベントです(笑)。そもそもの起源は約50年前、現在でも100ハイを運営している早稲田精神昂揚会の当時の会員たちが約半年をかけてアメリカ大陸を歩いて横断したんですよ。そこで「歩く」ことの大切さを知り、それを早稲田の学生にも知ってもらいたいということになりまして、昂揚会がサポートをして早稲田の学生が100キロ歩くという今のかたちが出来上がりました。最初は地図だけ渡して勝手に100キロ歩いてもらうという不親切極まりないイベントだったんですが(笑)、体育館を借りて休憩所や宿泊所として用意したり、お弁当を支給したりといったホスピタリティが充実するにつれ参加者が増えていき、今では毎年1000人以上の方に参加していただいています。
橋本:今年は6月の18~19日(土、日)の開催ということで、例年(毎年5月の第3週の土日開催)に比べ1カ月ほど開催が遅れましたが、これは震災の影響でしょうか。
廣木:そうです。そもそも100ハイというのは私たち早稲田精神昂揚会が主催しているものではあるのですが、まず昂揚会が大学に開催許可をいただき、その後に大学が警察に道路の使用許可を、ルート上にある体育館などに休憩所や宿泊所としての使用許可を申請するかたちになっているんですね。そして地震が起こる以前に関係各所からの許可は全ていただいていたのですが、地震後のドタバタは……思い出したくないですね(笑)
まず大学の100ハイ開催許可が無効になりました。それによって道路や体育館の使用許可も無効になり、全て振り出しに戻ってしまったんですね。そしてその後大学でおこなわれた理事会で第49回100ハイの中止が決定され、その勧告が来ました。そのときはめちゃめちゃ焦りましたね(笑)
橋本:中止の理由とはどのようなものだったのですか。
廣木:当時の状況からしてみたら仕方ないんですけど、世間の目を気にしてだと思います。様々な意見を大学側から言われましたね。例えば、100ハイの実行委員は参加者より早く休憩所や宿泊所に着く必要があるので車に乗って移動するのですが、当時はガソリンが足りないと叫ばれていた時期ということもあり、学生がイベントでその貴重なガソリンを使うのはどうなんだという意見。そして私たちが休憩所や宿泊所として使用する予定だった体育館が原発の影響で福島から避難してくる人の避難所になる可能性が浮上し、学生がそこをイベントで使うのは許されないだろうという意見ですね。
橋本:そこからどうやって開催にこぎつけたのですか。
廣木:早稲田大学の理事会向けに100ハイ開催に関する嘆願書をつくりました。もちろん私たちもあのような状況下で好き勝手にイベントを開催することは不可能だと思っていたので、嘆願書の中で節電や地震が起こったときの安全確認の徹底や、チャリティグッズを販売してその売り上げを被災地へ寄付することを約束しました。運が良かったのは学生生活課の100ハイ担当の方や、総長も学生イベントに理解があったことですね。そして学生イベントである早慶レガッタや野球の早慶戦も通常通り開催されたこと(早慶レガッタは震災の影響で例年の東京・隅田川から埼玉県・戸田漕艇場に移された)も追い風となり、4月の後半に100ハイ開催を認めてもらうことができました。
開催が1ヵ月遅れたのは、開催許可が4月後半にずれこんだことで例年の開催時期(5月の第3週の土日)だと十分な広報や参加応募の期間を取れないこと、そしてこれが一番大きかったのですが、再び体育館の使用許可を取ることになり、全て空いているのが6月の第3週までなかったためです。
橋本:開催が遅れたこと以外に、どのような影響や変更点がありましたか。
廣木:開催の条件として関係各所から言われたのが、「節電の徹底」、「安全対策の確認」の2点でした。前者に関しては休憩所や宿泊所を必要最低限の明るさにしたりすることによって対応しました。後者に関しては、地震が起こったときの安全対策ももちろんなのですが、節電の影響で(点いている)街灯が減っていたので、その分道に立っているスタッフを増やすなどの対応をしました。
橋本:当日の苦労というのはどのようなものでしょうか。
廣木:これは毎年のことなのですが、事故が起こらないか気を揉み続けることが精神的にキツかったですね。特に今年は地震の影響で街灯が減ったりということもあったので……。しかし事故が起こらず本当に良かったです。
橋本:最後に、100ハイが終わった今どのようなお気持ちですか。
廣木:一言で言うと「疲れた」って感じですね(笑)最近何にもやる気が出なくて、授業にも行ってないです(笑)ただtwitterなどで100ハイの感想を見たりすると、こんなにも早大生に愛されているイベントに携われて良かったなと思いますね。
自粛という名のもとに、震災の影響で多くのイベントが延期・中止に追い込まれた。100ハイも震災直後は「不謹慎」という理由で開催が危ぶまれていた。しかし「100ハイを中止にすることは本当に被災者のためになるのか」と廣木さんは考え、100ハイの開催に全力を尽くし、無事開催されることとなった。もちろん節電や安全対策の関係で物理的に開催が不可能なイベントもあるだろう。しかしそうではないイベントまで自粛するのは、いったい誰のためなのだろうか。自粛という言葉が、被災者ではなく自分たちのための言葉になっていないか、今一度考える必要があるのではないか。