「教育機関としての大学教育」に関する記事として、前回は早稲田大学の政治経済学部の学生に、座談会形式のインタビューに行った。そこで、大学に対する学生の不満は二点出てきた。一つ目は、入学当初は自由に幅広く学び、興味を持った分野を専門的に学べる環境が欲しいということ。二つ目は、主体的・実践的に学ぶ機会が欲しいということであった。これらを満たす教育システム、いわゆるリベラルアーツを採用している早稲田大学の学部は、国際教養学部である。実際にリベラルアーツの環境下で学んでいる国際教養学部生(以下、国教生)は、どのように感じているのかを知るため、国際教養学部5年生の2人にインタビューを行った。2人とも大学3年の夏に、フランスに留学している。
<取材詳細>
・福田さん(女性、仮名)インタビュー日時:2012年8月1日、場所:早稲田大学
インタビュー担当者:三重野智子、松本哲弥
・浅尾さん(男性、仮名)インタビュー日時:2012年8月7日、場所:新宿のカフェ
インタビュー担当者:三重野智子、真下信幸
福田さんは、「高校2年時に留学に行って3年の夏に帰って来たので、英語以外の教科を勉強する時間がなかったんです。何で勝負出来るかって言ったら留学経験だけだったので、英語で勝負出来る早稲田大学、上智大学の国際教養学部、明治大学を受けました。その中でも、もう一度留学が出来る早稲田大学教養学部を選びました」と話している。一方浅尾さんは、「リベラルアーツを学ぶために入って来た」と語る。「難しい問題って、難民でも何でも今解決出来ていない問題は、ある経済の専門家だけで難民問題を解決出来るかって言ったら出来ないし、社会学だけで、政治家だけで、解決できるわけではない。だからそういう専門家たちを全員集めて、その中で彼らの知識を使って何か解決策を作れたらかっこいいな、と高校生の時に思ったんです」浅尾さんは、幅広く学んだ知識をつなぎ合わせて、一つの解決策を見出すことに重要性を感じている。
福田さんの所属するゼミのテーマは、イスラム教について。先生の専門はイスラム圏の教育。ゼミの先生の授業を取ったことがあり、面白かったということ。そして留学中にイスラム圏の国に旅行をして、それまでのイスラムに対する厳格なイメージとは違っていて、色々な国があるということを知ったという二つの理由から、今のゼミを選んだと話している。浅尾さんは次ように話してくれた。「一つのメジャーを専攻したら、そこで例えば誰にも負けない知識を得られたら良いんだけど、周りに頭の良い人がたくさんいて、この人たちに勝つのは無理だなと感じたということもあって、一つのことを極めるよりは色んなものを知る方が、自分には向いていると思った」さらに、浅尾さんは「幅広く学んで自分の知らなかった新しい視点を増やすということで、その人々に合わせたトピックでの会話をすることが出来る。だから、リベラルアーツで幅広く学んでおいた方が、自分のためになる」という考え方も持っていた。このような発言から浅尾さんは、専門性を極めることに関してあまり利点を感じていない。大学入学前からリベラルアーツを学びたいと思っていたため、今でも専攻をとらずに幅広い学問を学んでいる。
国際教養学部には、7つのクラスター(科目群)があり、特定の分野に偏ることなく幅広く学ぶという姿勢をとっている。実際に国教生はリベラルアーツ教育について、満足しているのだろうか。
確かにリベラルアーツで広く浅くは学べたが、あまりに浅すぎたと二人とも感じている。例えば、一年時に経済を履修していなかった人でも、二年以降で経済の授業を取ることが出来るというのが国際教養学部のシステム。そのため、初級も中級も上級もあまりレベルの差がなく、ゼミに入らない限りは内容の浅い知識しか学ぶことが出来ない。しかし「色々な教授から話を聞くことで、最低限の新しい視点というのは身に付けられ、そういう面では勉強になった」と浅尾さんは話す。福田さんは「就職活動に関して言えば、専門性がなくても就職出来るため、広く浅く学んだ方が良かったのかもしれない」と感じている。その一方で、「広く浅すぎて結局何を勉強したのか分からないという感じはするので、メジャーと言う形でやらせてもらった方が、それなりの専門性は身に付いたかもしれない」とも話していて、リベラルアーツ教育は一長一短という結論であった。
政治経済学部生が、実践的に学べる機会が少ないと言っていたのに対し、国際教養学部生はどのように感じているのだろうか。学部の方針としては、少人数でのディスカッション形式の授業で、学生と教員との議論の場を設けようとしている。
福田さんは、元々日本語では結構発言できる方だったが、英語で話すことに関してはあまり自信がなかった。しかし、少人数でのディスカッション授業では「発言せざるを得ない」という状況におかれるため、がつがつ発言できるようになった。福田さんは、意味のあるシステムだと感じている。浅尾さんは、「本人の取り組み方次第」だと考えている。大教室での授業でも発言する人はするし、ディスカッションでもさぼろうと思えばいくらでもさぼることは出来る。ディスカッション形式だから学べたというわけではなく、自分がそれに真面目に取り組んだかが重要なのだ。国教は、大教室でも質問する人が結構いるそうだ。だから、大教室での授業が、ディスカッション形式ではなく聞くだけの講義だと感じたことがない。取り組み方次第というのは、こういうことなのかもしれない、と福田さんは言う。
「教授が、自身の持っている力を全部出し切れていない。教授本人も歯がゆいと思うし、僕たちも学ぶものがないからもったいないと思う。あとは、どんな授業でも取れるというのは良いことなんだけど、ある程度段階的に、レベルの高いものを取る時にはそれ以前の準備を踏んでからきてね、というふうにしないと。全部がレベルが低いと、上級までいっても大したことやらないということがあったので。しかし一長一短ですね。リベラルアーツのお陰で、これまで何でも取り続けられたわけだから」と考えるのは浅尾さん。「リベラルアーツを日本でやること自体ちょっと無理がある。リベラルアーツは、大学院前提という部分があるじゃないですか。学部で学んだことを活かして、大学院で専攻をつくろうという。それに対して、日本の大学院は行き止まりな感じがするんです。大学院ありきでつくっているから内容は浅めなのに、結局大学院に行かずに終わってしまう。ゼミに入ったとしても、自由すぎてどうかなとも思う。アメリカは一つの授業を一週間で8コマくらいやるのに対して、日本は一コマで終わらせてしまう。だから日本の講義は深いと感じたことがない」それに対して浅尾さんは、「国教の友達と話していても、結局何を勉強したか分からないと言っている。だから、メジャーを決めて下さいと言われた方が良かったかなと思う。それはそれで、今度は制限されてしまうと言う人も出てくると思うけれど、メジャーを設けて最低限これだけ専門性を深めてくださいという枠がありつつ、残った枠で好きなものを取れるという方が良かったかなと思います」と話してくれた。
福田さんも浅尾さんも、留学に行った時期や留学先は同じだが、リベラルアーツに対する考え方や不満は違っていて面白かった。私自身は、リベラルアーツに魅力を感じている。大学入学当初は、何に興味があるのかはっきりしていなかったため、幅広く色々な分野を学ぶ機会を与えられた方が良かった。その中で、興味を持った分野を深く学べていけたら良いのではないかと思う。しかし、幅広く学んだ学問をつなぎ合わせて問題を解決できるのではないかという浅尾さんの考え方に非常に共感した。
リベラルアーツでは幅広い分野を学ぶことができ、それらの知識を自らの力でつなぎ合わせ問題解決に役立てられるという利点がある一方、幅広すぎて結局何を勉強したのか分からないという結果になりがちだ、という欠点も明確になった。また、少人数のディスカッション形式だからといって、実践的な力が身に付くわけではなく、結局は本人の取り組み次第で力の付き方に差が出てくるということも分かった。
大学教育としては、ある専門的な知識だけに捉われず、リベラルアーツで学ぶことによって幅広い知識や視野を身に付けた方が良いのではないかと思っていた。しかし、幅広く学んだ知識があまりにも浅すぎるのでは、意味がない。結局大学で何を勉強したのか、分からなくなってしまう。リベラルアーツ教育を受ける人たち全員が、大学院に進むことを前提としているため、このような問題点が浮き上がっているように思う。ただ広く浅くというだけではなく、一つ一つの授業の質を向上することで、リベラルアーツ教育の可能性は広がっていくのではないか。(三重野智子)