「大学教育は変化しなければならない」。グローバル化や大学進学率の増加に伴い、高等教育の変革は昨今もはや議論の前提となっている。この潮流の背景には、政府や企業、そこで働く人々、そして学生という、社会の様々な主体が大学へ多くの要望を抱いている状況がある。この流れの中心にいる大学、そして学部は教育に対してどのような意識を持ち、そしてどのようにそれを反映して授業を設定しているのだろうか。そのフィードバックは変化し続ける社会からどのように得ているのか。これらの状況を知るために、大学教育への意見を紹介する本連載記事の出発点として、2011年12月19日、早稲田大学政治経済学部の教務部へインタビューを行った。その要点を以下にまとめた。
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政治経済学部は早稲田大学を代表する、また人気の高い学部の一つだ。しかし、学生がその学問からキャリアプランや卒業後の将来像を想像しにくい側面もある。そのことに不安を抱く学生も少なくないようだ。
政治経済学部は教育を通して学生にどのような将来像を期待しているのか。
1年生の頃から将来設計の機会を提供するなど、学生の将来について学部は意識しているようだ。しかし、早稲田大学教務部の主任は学問と職業を結びつけ過ぎることには反対だ。「政治経済学部は学問の性質上、特定の職業に直結することは少ない」。「あまりに直結してたら、職業訓練学校でしかなくなる」。政治経済学部としては、大学生という期間を社会の根本的な問題を学ぶ機会にしてほしいという考えを示した。「学生時代は職業に直結することではなく、もっと根本的に考えることは良いのではないか。人間社会の問題について学ぶことは意味があるはず」。「学部生の頃には広く基礎力をつけるということを決め、一つの関心に特化しないで複数の科目を取るよう求めている」。
「政治学を学んだから政治家になることを期待しているということはなく、幾つかのモデルを示すということはあるとしても我々としては『どこにどうならないといけない』ということは言っていない。グローバルな社会において、どの分野に置いてもリーダーとして活躍することを期待している。具体的に特定のキャリアを想定しているわけではない」。
「政治経済学部では学科ごとに目標を立て、その目標に合うように授業を設定しています。細かな授業の設定は学科ごとの教授会が行い、最終的な決定は学部の教授会が行なっている」。具体的な授業の設定は、最終的な決定は学部が行うが、学部内に3つある学科も大きな働きをしている。そして、そのいずれでも教授会が大きく決定権を持つようだ。
学生からは授業方法や授業内容に関する要望が多い。政治経済学部はそれらの要望に応え、授業方法や内容をコントロールすべきなのか。しかし、教務部主任はそれに対して否定的だ。「教え方の巧拙にばらつきがあるのは事実」と認めつつも、「とはいえ、教員がエンターテイナーである必要はない」、「授業の分かりやすさは聞く人によっても変わるため、受け取られ方は一様ではない。授業の教え方から、ある先生から教える立場を奪うことは(教育の自由と関係が深い)大学自身を否定することにもなる」。
「(大学が教えることは)社会の中の動きによって変わってくる側面もどうしてもある。しかしそれが悪いというわけではなく、それは主体的に我々はどうしていくかという問題」。授業内容や実施方法への干渉について、学部は「教育の自由」を強調し、変化の取り組みにおいて大学や学部が主体的であることを重要視している。「大学は自治権があるので、自らどう考えるか、ということなわけですね」。
インタビューを通して、早稲田大学政治経済学部も様々な方法でフィードバックを得ようとし、社会の中で自らの立ち位置を見極め、適応しようとする意気込みが感じられた。しかし、『学問の独立』という建学の精神を持つためか、教育の自由、自治権にも対して強いこだわりを見せ、大学が変化する上でも主体性を強調した。主体的に変化する。これが早稲田大学の政治経済学部の姿勢のようだ。
政治に左右されない学問をつくる。科学的、論理的に正しいのであればあらゆる意見を認め、民主主義の土台を守る、とても重要な伝統的精神だ。しかし、「『こういうふうにして行きましょう』というラインぐらいは決められても、(授業の)具体的な中身は決められない」という言葉が示すように、その精神がもたらす大学や学部側のコントロールの弱さが変化を阻む一因となっているのではないかという印象も受けた。教える側の自由は、一方では民主主義の基礎を守り、一方では一体的・抜本的な組織の変化を阻むという、大学教育ならではの難しい問題もかいま見えた。(松本哲弥)