1. トップページ
  2. シリーズ・科学ジャーナリストインタビュー2013 <第5回>高柳雄一氏

シリーズ・科学ジャーナリストインタビュー2013 <第5回>高柳雄一氏

 width=

 1939年生まれの高柳雄一氏は富山県富山市内で幼少期を過ごす。富山大空襲を逃げ延びて立山の麓で終戦を迎えた。新聞記者だった父の転勤で小学三年生まで奈良で、中学三年生までを和歌山で過ごし、岡山で高校を卒業。各地を転々とする中で天文と科学への興味を募らせ、東京大学理学部へ進学。

メディアの仕事に関心があり、1966年NHKへ入局。教育局にて「太陽と人間」など科学教育番組を担当。その後、NHK総合テレビの科学産業部へ異動し「明日への記録」などの科学ドキュメンタリー番組を数多く担当した。

1980年、当時科学ドキュメンタリー番組の手本にしていたBBCへ出向。そこで、まず画像・映像を見せることが第一で「見せるものがないと番組が作れない」日本と、「「百聞は一見にしかず」じゃなくて、まずディベート」で「証拠より論を大事にする」海外という科学番組の作り方の違いを学ぶ。帰国後スペシャル番組部でチーフとして活躍し、「銀河宇宙オデッセイ」や「ナノ・スペース」などのシリーズ番組を制作。「自分のやりたい事をできるだけ多くの人に興味を持ってもらいながら、これをやると世の中の人がみんな見たがるという事をいかに伝えるか」で新企画を通すための苦労は大きかったと言う。

1994年以降は解説委員として活躍し、NHKを退職。2001年に高エネルギー加速器研究機構(KEK)広報室に勤務。その後電気通信大学広報室を経て2004年に多摩六都科学館館長に就任。「本当は専門家集団自体、研究所とか大学自体がアウトリーチをちゃんとしなきゃいけないんだけれど、その動きが日本では少し遅れていて、…その間に社会に科学や技術のニュースを出したのが、日本のジャーナリストが果たした役割だ」と述べ、しかし科学技術だけでは解決できない課題について社会と共有できる議論を進めるよう、話題提供する役割も科学ジャーナリズムは持たねばならない、また市民が議論に入れるようにする科学者側の広報活動も大事であると語った。


   インタビュワー
主担当:南村雄也、副担当:廣川健之  

ゼミジャーナル

インタビュー調査

卒業論文題名