小出五郎氏は1941年東京都で生まれた。戦中母を亡くし、父子家庭で育つ。1960年東京大学農学部に入学、農学部水産学科で放射線生態学を専攻する。科学と社会の関係に関心が深かった氏は、ジャーナリストになることを決意、1964年NHKに入局。科学産業部のディレクターとして活躍する。 1967年に札幌局に移動、自然番組を中心に扱う。1971年「あすをひらく」のシリーズで「白い送電線 着雪事故を防ぐ」などドキュメンタリーの制作にも力を入れた。翌1972年に東京に異動、富山のカドミウム汚染があった所へ通い「稲がまたみのるとき」を制作したり、浜岡原発を対象に「耐震設計」という原発に批判的な番組を作り、仕事を干されたりもした。 1978年英国BBCで二年間勤務、世界のジャーナリストや科学者と交流。当時の人脈を生かして1984年NHK特集「世界の科学者は予見する・核戦争後の地球」を制作、数々の国際的な賞を受賞する。1989年、NHKスペシャル「驚異の小宇宙・人体」の制作中に解説委員となり、幅広い活動を行う。NHK退職後にはBPO放送倫理憲章委員会委員として、番組倫理の向上に努めた。 氏にとってドキュメンタリーとは「自分の当初思った事を確かめていく過程、それ自体をプログラムにまとめていく」こと、つまり「仮説の検証」であり、調査報道であり、属人性が強いものだと言う。「その瞬間分かってもらうというのと、何といっても、一挙に沢山の人に見てもらえるというのがテレビの強み」だが、「その時なんかわかったような気がするだけで、…実は何も残ってない」という「一過性の弱み」がテレビ・ドキュメンタリーの課題だと語った。 原子力は科学ジャーナリズムの中心テーマであるが、戦後間もなく原発キャンペーンを科学の素養の無い政治記者が始めたところから問題があると言う。「科学技術ジャーナリストの側にも科学者の言うことを、そのままうまく分かりやすく伝えるのが自分たちの仕事だと思っている人たちが一杯いるわけです。実はそれはジャーナリズムじゃないのです。」放送局がジャーナリズムとして機能するには、「NPOじゃないけど、Non Profitじゃないと意味がない、受信料制度はNon Profitでできる手段として…ありがたい手段」であり、NHKは本当に「皆様のNHKらしく」するべきだと述べ、経営優先になっている民放の現状を憂えた。 ※お断り:小出五郎氏は2014年1月18日に急逝されました。このインタビューの原稿は途中まで校正されていました。充分に推敲されないままでご本人が確認されていない謗りもあるかと思いますが、しかしご生前の貴重なインタビューですので、ご家族にご了承いただいた上で、掲載することに致しました。 インタビュワー主担当:山田友明、副担当:割田謙一郎