安尾芳典氏は1947年に山口県に生まれる。1966年に中央大学文学部社会学科に入学すると英字新聞学会『Hakumon Herald』に入部し、学生運動の取材に励んだ。現在もOBとして後輩の支援を続けている。 1970年に共同通信社に入社。大阪社会部の堺支局を振り出しに大阪府警防課担当、奈良支局を経て、遊軍として部落・朝鮮問題を担当していた。1973年に起きた金大中事件では、在日韓国人たちの団体に取材した。1975年に東京社会部へ異動。「花の一方面」を担当し、ロッキード事件とその裁判を追い続けた。1981年に韓国の延世大学に一年間留学。東京社会部、組合活動専従を経て、84年に外信部に異動。 すぐにソウル支局に赴任、板門店で行われた南北対話や民主化運動、初の直接選挙制となった大統領選を報道。接戦だった選挙報道で「盧泰愚郵政」と打った時は「これで間違えたら辞めないといけない」と覚悟する賭けだったという。 1989年に外信部のデスクとなり、1992年にバンコク特派員支局長として赴任。「私は民主化運動と非常にかかわりが深」いと言うように、折からミャンマーやカンボジアで起きた民主化運動を取材。「スーチーさん解放」のスクープを放つ。 1996年には経営企画室でインターネット事業の立ち上げに取り組み、整理部を経て、1999年に新潟支局長に就任。「これで記者生活も終わりなのかな」と思ったが、予想外に様々な取材で日本を再発見。2001年に再度ソウル支局長となり、日韓W杯サッカー大会の取材準備に尽力した。 言論弾圧下で韓国の友人が「あなた方は書けるのだから歴史を記録するために書いてほしい」と言った言葉を胸に、書きたくても書けないことを書くことが言論の自由のある日本の記者としての役割であると語った。 インタビュワー主担当:戸川旅人、副担当:雨宮信太