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シリーズ・海外特派員ジャーナリストインタビュー2014 <第4回>高井潔司氏

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  高井潔司氏は1948年に神戸市で生まれた。新聞記者という職業に興味を持ったのは、高校生の時。「常に何か勉強していなくてはいけない、何かそういう仕事に就きたい」という思いから、新聞記者を志すようになった。都立大泉高校卒業後は東京外国語大学の中国語学科に進学し、1970年に記者として読売新聞社に入社した。

入社後は福島支局に配属。当初は、聞き取りジャーナリズムに違和感を覚え、戸惑ったが、東京から来たデスクに「何が社会の問題かということを考える」ことを教わり、調査報道の仕方を学んだ。千葉支局の後、社会部を経て1980年に外報部に異動。二年後にイラン・イラク戦争真っただ中のテヘラン支局へ赴任。国際関係の中での中国はという視点を学び、ステレオタイプの問題点を意識し、海外特派員としての姿勢を身に付けた。

 1986年に上海支局開設のため赴任。1989年に北京支局長として天安門事件報道を指揮。1997年の鄧小平死去では特ダネ競争に負け、北京支局長として責任を取るべく報道した号外で、中国は文化大革命時代に戻り混乱するという風な記事を書けと指示する本社に対し、「中国が改革開放路線を捨てるのはありえない」と反論して抵抗。取材に基づく分析結果を書く姿勢を貫いた。

 帰国後、大学教授として中国報道の研究を進める中で、「一部の出来事を全てであるかのように書くのは問題です」と指摘する。局所的な出来事を切り取ることは、相互理解のための報道を誤解拡大の報道に変えてしまう。「中国全体の中で、このニュースがどういう意味を持つのか、ということを常に考えて報道しないといけない」。現場にいる人たちが責任を持って、自分なりの意見をしっかり言って、現状を発信していかなくてはならないと語った。

   インタビュワー
主担当:加藤千暁、副担当:呉星華  

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