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シリーズ・海外特派員ジャーナリストインタビュー2014 <第3回>星野元男氏

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  1938年生まれの星野元男氏は、上総一宮にて終戦を迎えた。中学卒業と共に松戸へ移り、県立国府台高校を経て東京大学文学部へと入学する。高校時に国語と漢文を蘆田孝昭氏(後の早大中国文学科教授)に学んだ影響で倫理学科に進学。修士課程にて中国革命同盟会の機関誌『民報』の編集長を務めた章炳麟の思想を研究、『世界週報』を読んでいたこともあり、1962年時事通信社に入社する。

 入社後は政治部に配属され、七年間に渡って内閣、外務省、自民党、衆・c院、参議院の担当を務め、「取材の基本は全て政治部で叩き込まれました」という。1965年にインドネシア独立20周年式典に担当だった川島正次郎氏に同行して、初の海外取材。1969年から台北特派員となり、カナダと中国の国交樹立の報道で社長賞を受賞。1971年末台北支局の閉鎖を経験した。

帰国後は再び政治部で、田中角栄の下で行われた参議院選挙の選挙班のキャップなどを務める。1978年からの香港支局長時代には支局員が五人に増え中越戦争などを取材する傍ら、ニュースサービスにも着手した。1982年に北京支局長に就任し、中国の取材制限に苦労しながら中ソ関係や日中関係を報道する。その後、社長室付で「日本文字放送」と「エレクトロニック・ライブラリー」の二社の設立に貢献。

 国際報道記者に最も重要なことは「全体としての判断」、そして国内、国外の両方を知っていることだという。世界の宗教・民族事情や政治・経済を、全体的な視点で見ることができるかによって記事の内容も変わってくると話す。また専門的な特派員を目指すならば、中国人と結婚するなど長い時間を中国に捧げている必要があるという。

 星野氏が社長室付の時に手がけた時事通信のネットニュースは、広告収入を得られるようになったものの、「やはり新聞やテレビの広告の凄さに比べられません」と語り、ネットの時代に「日本の通信社は先細り」であると締めくくった。

   インタビュワー
主担当:深谷朋宏、副担当:加藤千暁  

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