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シリーズ・海外特派員ジャーナリストインタビュー2014 <第27回>千野境子氏

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 千野境子氏は第二次世界大戦末期の1944年に生まれた。中学・高校と文学にのめりこみ、フェリス女学院を卒業後、「他の大学には無いユニークな学科」ということで早稲田大学文学部ロシア文学専修に入学する。もともと世の中の動きに関心があり、戦争報道などの世界に漠然と憧れ、女性記者自体が珍しかった時代に「女子も可」とあった『産経新聞』に1967年入社した。

新人教育後、『夕刊フジ』の報道部に唯一の女性記者として配属され様々な・d事に携わったが、海外に関心があり、「ピープル」欄では外国人に数多くインタビューした。1978年、34歳の時にフルブライト・ジャーナリストプログラムで、アメリカへ留学、米国の政治とジャーナリズムを学んだ。帰国後、再び『夕刊フジ』の報道部に戻り、アメリカでの体験を執筆し『ワシントン・シングル・ウーマン』などの本にまとめて出版した。

転機は1985年『産経新聞』外信部への異動。「漠然と夢見ていた特派員を、それがダメでも関心のある国際問題を、やっぱり外信部で目指すのが正攻法ではないか」と自ら希望を出し、16年間いた『夕刊フジ』を離れた。1987年にマニラ支局長、1991年よりニューヨーク支局長となり、1993年に日本の女性として初めて外信部長となる。1996年からはシンガポール支局長を務め、1997年には一連の東南アジア報道の功績が認められ、ボーン上田記念国際記者賞を受賞する。その後論説委員となり、2012年に退社するまでに三年間女性初の論説委員長として手腕を振るった。また『夕刊フジ』の記者時代から現在に至るまで、執筆活動も精力的に行っている。

数々の「女性初」で活躍してきた千野氏は、「私は事件やニュースにツイていた」と語る。その一方で、「日本の新聞が国際報道も含めてどこまで国際的に読まれているか」を常々問うていると述べ、「日本の新聞社が国際報道を軽視してしまったら、新聞の力を衰退させる」と現状に警鐘を鳴らした。

   インタビュワー
主担当:岸下ひとみ、副担当:木下将太郎  

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