古野喜政氏は、1936年福岡県北九州市生まれ。敗戦直前に強制疎開で家を壊され、翌年父親が死去。中学三年生の時に英語弁論大会で優秀賞を貰う。京都に魅かれて1955年に京都大学法学部に入学。猪木正道氏のゼミに入り、政治学に魅せられる。食べ物が少なく腹が減るので、「ゼミの日以外は家でじっと本を読んでいました。」 友人の勧めから1960年に『毎日新聞』入社。大津支局に配属され、最初は文化や学芸関連、三年目からは社会部で警察回り・S当。府警本部詰めとなり、「新聞記者は…(国民の)税金をどう使っているかの見張りだ。嘘はドロボウの始まりだ」と怒鳴って話題となるも、事件記者として十年以上キャリアを積む。1972年に初の訪韓時の経験を夕刊の連載「韓国の暑い夏」に執筆。翌年ソウル特派員に任命され、金大中事件、文世光事件などを報道。KCIAとソウル警察に尾行され盗聴される独裁政権下の取材を経験する。「金大中さんに最も近かった日本人記者は僕とちゃうかな。(笑)」三年間の韓国での経験をもとに1981年に『韓国現代史メモ:1973?76 わたしの内なる金大中事件』を出版。大阪に戻り、社会部長時代には、グリコ森永事件の報道に携わる。編集局長を経て、スポーツニッポン大阪本社専務などを歴任。2002年退社。現在は、日本ユニセフ協会で理事・副会長を務める。 「特派員の役割は大きいと思う」と述べ、「アジアについてもっと情報量を増やさなあかん」と言う。激しく変化するアジアについては、「政治、外交だけでなく、その底辺というか背景になっているその国の文化について特派員がしっかり勉強することが大切」と語った。 インタビュワー主担当:雨宮信太、副担当:佐藤雪絵