佐藤俊行氏は1948年、茨城県に生まれた。ケネディの影響を受け1968年に早稲田大学政治経済学部に入学。在学中、「何でも自分の目で見てみたい」とアメリカに留学する。「客観的に自分を見て、人よりもし優れたものがあるとしたら、広く世の中を見て興味関心のあるものを探しだすことだと分析」し、1973年NHKに入社する。 秋田放送局での最初の取材対象は警察。なるべく現場を踏んで警察の発表にない事実を突き詰めていき、特ダネを取る工夫を・wぶ。三沢通信部では米軍と自衛隊、むつ小川原巨大開発や冷害を扱う。社会部勤務を経て1983年外信部へ移動し、1984年にバンコク特派員となりインドの暴動などを取材。次いでマニラ支局長となり、マルコス体制の崩壊や若王子誘拐事件を報道。 その後東京に戻り現在の国際放送の先駆けとなる英語の国際ニュース番組「Asia Now」を制作する。1991年ソウル支局長として赴任、韓国でのNHKの信頼度は抜群だったという。ワシントン支局長代理を経て、1996年クアラルンプール支局を開設し、外通貨危機とスハルト退陣を報道。1999年から報道局国際部長を勤め、アジアの取材網充実をはかる。2003年、NHK国際放送局長に就任。イラク、アフガン戦争を取材する中で、米国が“テロとの闘い”として報道を統制し、米国のマスコミもそれを受け入れている事実を垣間見て、「日本の戦時中と変わらないな、これが民主主義のチャンピオンを自認する国なのかと思いました。」インド洋大津波の際は日本の防災ノウハウを共有しようと、ニュース部会議長を勤めていたABU(アジア太平洋放送連合)で災害報道の会議を開く。 現在は国際メディアコンサルタントとして、アジア太平洋放送連合とNHKとのリエゾン、PBI(国際公共放送会議)事務局長、更にはJICAを通して、発展途上国の放送局への支援を行っている。 東西のジャーナリズムの違いについて、アジアのメディアは「事実を事実として伝えることに重点を置く」のに対し、西洋は「非常にイデオロギー的」であり、「西洋ジャーナリズムには、アジアを一段下に見下している所があります。」と述べた。 公共放送であるNHKが果たすべき役割については、日本がどのような国かを正しく発信することであるが、さらに国際放送を国内にも流して、内向き指向になっている国内マスコミに影響を与えることができないかと期待している、と語った。 インタビュワー主担当:朝倉舞、副担当:高橋直弘