1. トップページ
  2. シリーズ・海外特派員ジャーナリストインタビュー2014 <第23回>大石芳野氏

シリーズ・海外特派員ジャーナリストインタビュー2014 <第23回>大石芳野氏

width=

  大石芳野氏は1944年に東京に生まれた。1962年に日本大学芸術学部の写真学科に入学。特別写真にこだわっていたわけではなく、社会との繋がり方の「幾つかの内の一つ」として写真を選択した。1966年ベトナム戦争の最中、戦争反対の意思を持つ学生数名でベトナムへ渡り、現地の学生と交流した。同年に日本大学を卒業してからはフリーランスの写真家として活動を開始。国内では沖縄、福島、隠岐、国外ではベトナム、カンボジア、ラオス、アフガニスタン、ポーランド、ニューギニアなど、様々な地域を取材した。スポンサーが付くことは少なく、普段から倹約して取材の費用に充てたのだという。

1972年にはかねてからの念願だった沖縄取材へ。政治的なものよりも人々の暮らしを撮りたいと、沖縄の人たちと話を深めた。1980年代、学生時代にも訪れたベトナムを頻繁に訪れ、深く刻まれた戦争の傷跡を目の当たりにした。今でも通い続け、復興していく様を見続けている。カンボジアでは、人々の話を聞く内に大虐殺の存在を確信。日本では激しいバッシングを受けるが取材を続け、1982年に『無告の民』で日本写真家協会年度賞を受賞。ポーランドではアウシュビッツ生還者に取材、信頼関係の中で得られた貴重な証言を伝えた。アフガニスタン取材では「敵が誰だか分からないという面」で危険を一番感じたという。未だ多くの不発弾が残されるラオスでは、戦争の痕跡が生活の一部となっており、人々の表情が暗いという。

今よりもずっと仕事が「男のもの」だった時代から、女性写真家として活動してきた大石氏は、「フォトジャーナリズムは、向こうのものをこちらに伝える。その間に存在する黒子のようなもの」だけど、それゆえ「フォトジャーナリズムにおいて一番大事なのは、責任を持つ」ことだと語る。そして多くのメディアの中で写真が果たす役割は、「見ている人の想像力を掻き立てることが出来る」ことであり、「ムービーは、どんどん過ぎてしまうから、見逃すこともある。動くのが当たり前だと、見逃しやすい。その欠点を写真はカバーしてくれる」と話した。また、伝えたいことに応じて白黒かカラーかも使い分けているという。アジアを日本に伝える際には「長いものに巻き込まれないよう、冷静に見つめて考えることが大事」と語った。

   インタビュワー
主担当:尾崎彩、副担当:小林涼太  

ゼミジャーナル

インタビュー調査

卒業論文題名