田畑光永氏は、1935年東京に生まれ、神奈川に疎開し10歳の時終戦を迎える。日比谷高等学校を卒業後、日本史の試験問題をきっかけに中国への関心を持ち、浪人を経て東京外国語大学中国語学科に進学。エドガー・スノーなどの中国に関するルポルタージュを読んで記者職を志し、大学卒業後に東京放送(TBS)に入社した。 入社後、ラジオの報道部に配属、次いで政治経済部に異動。1968年に外信部に移り、1972年の日中国交正常化会談では政治記者として歴史的報道に携わった。1977年から1980年まで北京支局長を務めた。規制の強い時代だったが「牧歌的で平和な時代だった」という。帰国後は報道番組の制作に携わり、「報道特集」や「ニュースコープ」にキャスターとしても出演した。しかし、キャスターやアンカーの「仕事は基本的に面白くなかった」と言う。1989年政治部長に就任。1992年から香港支局長を務め、1996年TBSを退社。 その後、神奈川大学経営学部教授を十年間務めた。一方で、リベラルの灯をともし続けた『軍縮』の意思を継ぎ、2007年にブログ「リベラル21」を開設する。2010年からは北朝鮮へ四度訪問、2014年にはキューバを訪問し社会主義国の実態を探り続けている。現在は国際善隣協会理事を務めている。 現在の日中関係について田畑氏は「両方の国民が仲良くできるような、そういう道をマスコミは考えなければいけない」としみじみ思う。そして「現象を報道するのは、テレビは得意だけど、それがどういう意味を持つのかということを補強するメディアの役割を、ちゃんと誰かが果たさなきゃいけない」と語り、「企業の営利事業としてのメディアはこれからどうなるのか。…無責任に言えば、面白い時代だ」と述べた。 インタビュワー主担当:岸下ひとみ、副担当:朝倉舞