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シリーズ・経済ジャーナリストインタビュー2015 <第31回>平田哲氏

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 平田哲氏は1946年に北九州で生まれ、東京で育つ。 父親の影響で、幼い頃から『毎日新聞』の経済記者を志し、経済を学ぶために早稲田大学政治経済学部に入学。 しかし紆余曲折を経て、父の勧めで1970年に放送記者として日本放送協会(NHK)に入る。
 二ヶ月間の研修で放送記者としての基礎を学んだ後、静岡放送局に配属され、主に警察や消防に関する事件を担当し、 地元の関係者との人脈を広げて情報を収集する術を身に着けた。 同時に、放送やNHKの持つ影響力の大きさを痛感し、 「やはり放送というのは影響力が強いから気を付けなくてはいけない。ましてや誤報なんかとんでもない」と感じたと話す。
 1976年に報道局経済部に異動。 他社に比べて人数が少ない経済部で、通産省、機械、運輸、日銀などを担当し、グループ取材の重要性を学んだ。 また、「NHK特集」や「NHKスペシャル」などの番組を経済部が作り始め、 経済を映像化するという変革期に加わり、当初は「経済というのは数字だから番組になるのかなと思っていた」が、 「取材をしっかりして伝えれば、何でも番組になる」と分かったと言う。
 1989年に大阪放送局報道部デスクとなり、バブルのピークを取材。 1992年に報道部経済部デスクとなり、金融担当記者を増やし、各部キャップやディレクターとの情報の共有化を中心に変革を進めた。 1995年に「ニュース7」編集責任者に就任。 初日に全日空機ハイジャック事件が起き、ニュース現場の反射神経を思い知る。 1996年に経済部長となり、 「とにかく『正確に』。NHKは誤報許されないから。正確さが確保されたら、『より速く』。速さができたら、『分かりやすく』」との方針を説いた。 金融危機の時期にあたり、睡眠が四、五時間という多忙を極めたが、 『日経』に引けを取らない程NHKの経済部は強いと評価された。 1999年に名古屋放送局副局長、2000年に浦和放送局長として勤務し、 受信料収入のために地域に密着した営業を心掛け、ケーブルテレビの人々とも親しく付き合った。 2002年に総務局長に就任。2004年に子会社のNHK情報ネットワーク取締役、2007年に社長に就任し、NHKをコンテンツ事業から支えた。
 NHKの経済部について、「今世の中がどう動いているのか。これからどう動こうとしているのかを、国民が知るお手伝いをするのがNHKの経済部」 と語る平田氏は、「本当にやりがいがあって面白い仕事をやってこられて良かったなというのは、今実感ですね」と締めくくった。

   インタビュワー
主担当:柴田翔子、副担当:加藤優一  

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