菅谷氏は、1939年に兵庫県西宮市浜甲子園で生まれた。 空襲を体験し、大本営の発表をマスコミがそのまま報道していたことに疑問を感じていた。 中高は甲陽学院に通い、早稲田大学第一政治経済学部に入学。 テニスの有名選手として活躍する一方で、学業も優秀で「文武両道」の学生生活であった。 1961年日本経済新聞社に入社。入社後は外報部に配属。外電の翻訳を始めとした業務を六年間こなす。 その時に書いた米マスキー法案の特集記事がきっかけで工業部記者となり、「三菱、クライスラーの提携」や「いすゞ、GMの提携」等の大スクープを取る。 1971年ニューヨーク特派員に赴任。帰国後、産業第三部で次長、部長を務める。 1987年(昭和62)に初代米州編集総局長に就任し、ワープロ導入等に尽力する。 1990年取締役となり、大阪編集局長、法務室長、名古屋支社代表、大阪本社代表等を歴任。 1999年(平成11)にテレビ東京へ転出。01年から六年間同社長を務め、会長、相談役を経て2014年(平成26)に同社顧問となる。 社長時代には東証一部上場を果たすと同時に、番組を強化するため、 「個性、クオリティ(高品質)、パワー(高視聴率)」の要素を重要視し、「ガイアの夜明け」や「美の巨人」等の名番組を生み出した。 現在は社会貢献にも力を入れており、3K(郷土・教育・国際)と称し、様々な団体に携わっている。 菅谷氏は戦後ジャーナリズム、特に『日本経済新聞』が果たしてきた役割について、 経済力と文化力の両輪で(平和国家としての)日本を引っ張ってきたと評している。 また、現在の取材の在り方については、広報の発表内容を鵜呑みにするだけではなく、現場主義を大切にし、「生で、一対一で会え」と話す。 インタビュワー主担当:寺井健太、副担当:門野真子