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シリーズ・経済ジャーナリストインタビュー2015 <第24回>神尾昭男氏

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 神尾昭男氏は1934年に東京に生まれる。 疎開先の千葉から東京の大空襲を目にする。 1955年、早稲田大学政治経済学部に入学。英語と出版に興味を持ち、 英字新聞会『ワセダ・ガーディアン』で活動する。 最初は新聞記者を志望していたが、「小さくても専門的な方が良いだろう」と考え1959年に東洋経済新報社に入社する。
入社後一年間は整理部で雑誌編集の基礎を学ぶ。 二年目からは政経部の海外担当となり、初めはラテン・アメリカを担当、次第にアメリカ経済と国際金融に魅了され、 IMF総会やトリフィンやハイエク、フリードマンらアメリカの経済学者などを取材。 十年間海外担当を続けた後に産業部に異動。海運と化学を担当。 1979年には大阪支社へ異動し、産業部を12年間務める。 1982年に東京へ戻り、機構改革で新設された『週刊東洋経済』編集部のデスク、 次いで編集長、編集局長を歴任。 雑誌の表紙デザインを一新した。 また「表紙は問題をアピールするための最大の見せ場」だという。 また「そう簡単に組織というのは一朝一夕では変わらない」ために、新設部署の調整には苦労も多かったという。
 1988年には国際業務室長、1989年には東洋経済アメリカの代表取締役会長に就任。 日本の『会社四季報』の英語版、“Japan company handbook”や『会社四季報』のアジア版、“Asian company handbook” を刊行した。 1992年には東洋経済新報社、代表取締役社長に就任。東洋経済新報社が百周年を迎える中、改めて『東洋経済』の歴史の重みを感じたという。 また、バブル崩壊後の厳しい経済状況に広告主が付かず苦労したという。1996年には会長に就任。
 退任後は、東洋経済を代表する大経済人、石橋湛山や三浦銕太郎の研究に着手する。 「若い世代の人には、戦争を繰り返してはいけない、三浦・石橋の「小日本主義」、平和主義を肝に銘じて欲しいと思いますね」と語った。

   インタビュワー
主担当:鈴木翔太、副担当:若尾祐里花  

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