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シリーズ・経済ジャーナリストインタビュー2015 <第20回>小島明氏

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 小島氏は1942年生まれ。 1961年に早稲田大学第一政治経済学経済学科に入学。 政治経済攻究会に所属し、アダム・スミスやシュンペーターなど経済学の古典を読んだ。 「世の中の状況が不安定な時には“BtoB-Back to the Basics”、 基本を我々若者は確認しなければいけないというのが、漠然とした青二才の発想でした」。 経済に強い関心を持ち、1965年に日本経済新聞社に入社。 圓城寺社長による大改革の最中で、「単に株屋新聞からガラッと…社内の空気、意識が変わった。 …私が入社した頃は発行部数は80万位だったものが、日本の高度成長の波と連動して、200万、300万になってきたんです。 …本社に移って、ビルがきれいになった時、それと連動して『日経』の経営カルチャーが変わったのです」。 最初は編集局外報部に配属され、1969年に奨学生としてマンチェスター大学に留学した。 帰国後はアメリカを担当し、ポール・サミュエルソンなどの原稿を翻訳した。
 1972年に経済部に異動し、日銀などを担当。 1977年に「企業とは何か」の連載企画で新聞協会賞を受賞した。 1978年から四年間ニューヨーク支局長を務め、サプライサイド経済学など新たな経済理論を説く経済学者などに取材し、 「経済教室」欄でそれらを紹介するといった独自のスタイルを貫いた。 「(仕事の)自由度は高かった。風当たりは強かったけれど。 だけどしばらくすると、奴はそういうタイプで一つのやり方があるんだ、ということがだんだん分かってきてくれ、 もう余り文句を言わないようになったんです」と当時を振り返る。
 帰国後は経済部編集委員兼論説委員を務め、1988年ボーン・上田記念国際記者賞と日本記者クラブ賞を立て続けに受賞。 1992年に編集局次長兼国際第一部部長に就任し、その二年後には論説副主幹になり、2000年に論説主幹、次いで専務取締役となる。 2004年に日本経済研究センターの会長に就任。 ここではトップクラスの専門家を集めて編集する雑誌を創刊した。現在もこの研究センターの参与となっている。
 小島氏は、日本における言論や政策論争の目先主義(ショートターミズム)に警鐘を鳴らす。 経済に関する議論も、長期的な視点を持つことが肝要だという。 そのためには「経済的な思考は一つの判断基準として非常に重要」だが、「絶えず大事な前提を点検して」理論を組み立てなければ、 現実から遊離してしまうと指摘する。
 また、現在直面しているメディア共通の問題は、「社会がジャーナリズムをどう受け止めるか」という点にあると小島氏は述べ、 「優良なメディアが何らかの支援もなく本来の役割を発揮し続けられるかどうか。それが民主主義の一つのテストだと思います」と言う。 メディアを支える基本は教育であるとし、現在の長寿社会における“生涯学習”の必要性を強調した。


   インタビュワー
主担当:藤本耕輔、副担当:太田裕 同席:若田部昌澄教授  

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