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シリーズ・経済ジャーナリストインタビュー2015 <第17回>師岡武男氏

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 1926年生まれの師岡武男氏は、戦時中を43年から旧制高等学校で過ごした。44年から病気のため休学し、敗戦時は千葉県の自宅で迎えた。1949年旧制東大の法学部に入学。一年生の終わりから、時事通信社でアルバイトを始める。元々はジャーナリストという言葉に不信感を抱いていた師岡氏だが、そこで記者の仕事に面白さを見出す。一方で、レッドパージを目の当たりにし、大きな衝撃を受けた。戦前へ逆戻りしてしまうという危機感から、民主主義を守るジャーナリストの仕事を目指すようになる。
 1952年共同通信に入社し、社会部に配属される。新人時代から、「人民のための記事」を書きたいと志す。学生運動の担当となる傍らで、鹿地亘監禁事件、造船疑獄事件等を取材し、取材や記事執筆の難しさを学んだ。学生運動担当の後、労働問題担当に移って、「総評」の初期高陽気を取材した。師岡氏は当時、発表されたことをただ記事にするような「発表モノ」記者ではなかった。「『雇われたジャーナリスト』には書かない自由は最初はあるんだけれど、結局は書かされる不自由の下にいるんです」。
 1955年経済部に異動、まもなく、労働運動再建のため一年間、新聞労連書記長に就任。1957年に経済部に戻り、大蔵省、日銀、通産省など経済記者としての花形部署を担当。日本経済の高度成長期を追った。1964年には組合の委員長を経験。その後、1966年に経済部次長となり、デスク業務をしてから、編集委員、論説委員を務めた。中成長期の1970年代には、特に円切り上げ問題に取り組み、『労働経済旬報』や『エコノミスト』などにも寄稿した。定年後も客員説論説委員を2004年まで務めた。
 師岡氏は、現在の経済ジャーナリズムの課題として、安倍政権の経済政策を監視し、その実態をはっきりと伝え、論評することが必要だと語る。「権力に対する番犬としての役割を、経済問題で果たさなければならない時が来ています」。


   インタビュワー
主担当:加藤優一、副担当:藤原拓也  

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