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シリーズ・経済ジャーナリストインタビュー2015 <第13回>大西良雄氏

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 大西良雄氏は1945年疎開先の兵庫県に生まれた。 1965年に上智大学に入学し、経済学を学ぶ。 学生運動には「ノンポリ・ドジカルズ」として関わる一方、アジア研究会で多くの本を読んで自分の思想の基盤を作った。 1969年に東洋経済新報社に入社。
 整理部で教育を受けた後、政経部で「近代経済学シリーズ」を担当。 経済学をじっくり勉強する贅沢に恵まれた。 1974年に産業部に異動し、次いで『会社四季報』編集部スタッフ、産業部キャップを務めた。 非鉄金属を担当し、日本鉱業ザイール銅鉱山の赤字問題、三菱金属の多角経営問題などの記事に反響があって驚いた。
 1979年に株式投資雑誌『オール投資』の副編集長となり、リニューアルに挑むが失敗。 『週刊東洋経済』副編集長を経た後、1980年に関西支社勤務となり、『会社四季報』のため90社を担当する傍ら、『ダイエー恐るべし‼』(1986年刊)を執筆。
 1984年に『金融ビジネス』に移り、三代目編集長となり、バブルに警告を発する。 1989年には『週刊東洋経済』副編集長、二年後に編集長に就任。 「古き故、長き故尊いとは言い難いが、古き長き中で培われた変わらざる価値を大切にしていきたい」と語り、 編集長として石橋湛山の思想を受け継ぎながらも改革を進め、部数を伸ばしていく。 特に「マネーサプライ論争」、「法人資本主義論争」などへの取り組みで論壇の評価を得る。
 1993年に出版局編集委員となり、本づくりに新鮮な魅力を感じ、 リチャード・クー著『良い円高 悪い円高』、田中直毅著『アジアの時代』(石橋湛山賞受賞)、 ポール・シェアード著『メインバンク資本主義の危機』(サントリー学芸賞受賞)など数々のヒットを飛ばす。 1999年に取締役出版局長に就任、売れる良書を作ろうという方針で年間「300点体制」を構築。
 2002年に営業局長となり広告費などの経費を削減する改革に取り組む。 常務取締役第一編集局長を経て2006年に退社した後、記者として独立。 現在はブログ「大西良雄 ニュースの背後を読む」での執筆活動や講演で活躍している。
 記者から雑誌、書籍編集、経営を経験した大西氏は「経済雑誌を通じて多くの経済学者、官庁エコノミスト、政治家、アナリストが行き交った。 その交流の場を提供したことに大きな意味があったのではないか」と戦後日本の経済雑誌の役割を評した。

   インタビュワー
主担当:齋藤周也、副担当:柴田翔子  

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