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シリーズ・経済ジャーナリストインタビュー2015 <第12回>中村侃氏

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 中村侃氏は1943年、大阪市に生まれる。 「今からテレビの時代かなあ」という直感から、1967年にNHKに入局。 二ヶ月間の研修を経て、福岡放送局に赴任。その新人時代に「向こうが喋ってはいけないことを喋らせるというのが仕事だという事」を学ぶ。 これがその後の記者人生の軸となる。
 1973年に東京の経済部に赴任、機械や繊維、通産省などを担当。 主にオイルショックを取材した際には、直接の情報源の確保、市場への行政の介入や企業の社会的責任の問題、 エネルギー政策の議論が深められなかったという教訓が残った。 1974年4月に始まった磯村正徳をコメンテーターに抜擢した「ニュース9」に携わり、テレビの経済記者のあり方を模索し始める。 1984年からは仙台放送局のニュースデスクに就任。東北全域の放送を指揮すると共に、どう伝えるかを意識したテレビ映像の意義を再認識する。 1986年から務めた東京の報道局デスクでは、日米構造協議をNHKスペシャルで三回特集し、機密性の高い公電を暴露して大きな反響を呼んだ。 1990年からは「ニュース9」の編集責任長、1991年に報道局の総務部長になり、その後は仙台放送局支局長、2001年からは松山放送局の支局長に就任した。
 中村氏は、自身の反省を込めて現在の経済ニュースの難しさを三点挙げた。 第一に時間軸を空間を幅広く取った取材が必要であること、第二に、ネット社会でマスメディアは社会の共通認識を作って行かねばならない責任があること、 第三に、経済学の混乱という問題である。 「時代がモノからカネに移って、日米を含めて世界経済の舵取りが一段と難しくなっている」ことを背景として、 「経世済民」という言葉の意味を念頭に経済記者は、経済現象を先入観なく「自由闊達な議論を積み重ねていく以外ない」と語った。

   インタビュワー
主担当:新井広樹、副担当:若尾祐里花  

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