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シリーズ・経済ジャーナリストインタビュー2015 <第8回>太田哲夫氏

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 太田哲夫氏は1932年、長野県松本市生まれ。 太平洋戦争中にも大人達にはリベラルな雰囲気があったと言う。 松本中学・松本深志高校を卒業し、1952年早稲田大学第一政治経済学部経済学科に入学。
 新聞記者への漠然とした憧れがあり、1955年日本経済新聞社に入社、編集局工業部中小企業課に配属、問屋や下町を取材して回った。 その後、経済部では大蔵省、日銀を担当し、池田勇人、下村治、佐藤栄作などを取材。 また、経済研究室では「重装備の記者」になるために四年間勉強させられた。 1966年にニューヨーク特派員となり、ポンド切り下げやIMF総会を報道、またポール・サミュエルソン氏などの著名な経済学者に取材を行う。 1969年経済部デスクとなり、1972年には『日経ビジネス』編集長に就任。 「できるだけ人間臭い側面を中心に物事を書いていく、ということを心がけ」て、「編集長インタビュー」を始めた。 1975年に編集局経済部長、1983年に取締役編集局長に就任、海外取材体制の拡大を進め、 米欧アジアの三極に編集長を置く体制で「24時間切れ目なくニュースを流す速報システム」を構築し、新聞の国際化に努めた。 その後、常務、専務を歴任し、総務・労務・広報・総合情報・国際・法務を担当した。 1994年株式投資などの情報を中心に扱うQUICKの社長に就任し、バブル経済崩壊の不況の中、 インターネット技術を利用して新しいインフォメーションシェアリングの通信体制を導入し、社内改革に苦心する。 戦後の高度経済成長からバブル経済崩壊までを経済記者として目にして来た事を振り返り、「見るべきほどのことは見つ」の感慨無量であると語った。
 太田氏は「厳然と中立公正でなければいけない」とジャーナリストとしての潔癖さの重要性を指摘しつつ、 「経済の世界はトレードオフ、二律背反だというバランス感覚を欠いてはいけない」と述べ、 金儲けばかりでなく、倫理的な共感の側面が欠かせないと経済への視点を示した。 また、「私自身でも、私がやっている事は正しいだろうかというのを、時々は考える必要がある」と、疑う視点の重要性を語った。

   インタビュワー
主担当:山田日月、副担当:内村美夢  

ゼミジャーナル

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