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シリーズ・海外特派員ジャーナリストインタビュー2014 <第1回>金重紘氏

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 1943年に岡山県で生まれた金重紘氏は、1962年に東京外国語大学に入学した。「事件記者」を見て面白そうな職業だとマスコミを志望し、1966年時事通信社に入社した。

 最初から外信部に配属され、三年間の国内勤務の後、1969年に香港支局に派遣された。中国関係の取材と情報誌『時事速報』の出版に携わり、中国の報道規制の下で、台湾や香港からの情報を集めて中国大陸のニュースを発信した。特に「日本人の政治家とか経済人とかが、九龍から新界を通って、広州・ら北京に行く。『箱乗り』といって、帰る時に彼らを出迎えて、汽車の中で座って話を聞く。それで記事にする」のが大きな仕事だった。

1976年からシンガポール特派員となる。中国共産党嫌いのリー・クアンユー政権によるメディアへの監視の下で、ソ連記者と親しくなり尾行されたこともあった。

 1986年にワシントン支局長に就任、1991年に外信部長となり、ソ連シフトから中国・朝鮮シフトへの転換をはかる。1997年にニューヨーク総局長に就任、2006年に退社。当時のワシントンでは「日本脅威論」がマスメディアを席巻しており、「日本脅威論」の生成には、アメリカ国内の政治的な思惑が絡んでいるとともに、日本人に対する差別感情も影響していたと語る。

 日本の海外報道が抱える問題としては、「国際問題への関心の低下」ばかりでなく、記事を簡潔に短くせよという送り手側の流れになっていて、「(記事の)字数を少なくすると、本当に砂を噛むような記事にしかならない」ために丁寧な解説ができず、さらに分かりにくい記事になっていくと語った。また、通信社と新聞社の役割分担が次第に曖昧になってきている問題を指摘し、「通信社というのはファクトを伝えることが仕事」という基本を強調した。

   インタビュワー
主担当:横井克宏、副担当:小林涼太  

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