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シリーズ・海外特派員ジャーナリストインタビュー2014 <第12回>菱木一美氏

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  菱木一美氏は1936年に東京で生を受けるが、戦争の影響で幼少期から青年期までを千葉で過ごす。初めて見た米兵に興味を掻き立てられた。父の仕事を手伝った後に東京外国語大学英米科に進学、国際政治史を学び、現場に身を置きたいとジャーナリストを希望。1963年に共同通信に入社。入社後まず一番小さかった仙台支社に配属された後、1967年に本社編集局社会部へ移り、原寿雄、齋藤茂男など敏腕デスクに鍛えられた。

1970年外信部に異動。71年にソウル特派員となる。徐兄弟事件の救援活動を支援。「北朝鮮スパイのレッテルを張られた政治犯の救援活動を助けるのは、非常に緊張するけど、ジャーナリストとして正当な行動だという思いがありました。記者というのは無難な客観報道するだけが能じゃない。」1973年金大中事件では、直後に金大中の自宅で密着取材。

 1974年にニューヨーク特派員、1976年にはワシントン特派員と米国での取材中、北朝鮮の記者会見に足を運び、北朝鮮外相の単独インタビューに成功。「記者としては取材対象との人間関係が大事」と語る。1977年には、FBI機密資料から金大中事件の真相をスクープ。

 1982年に金日成主席70歳祝賀に際し、初めて訪朝。金日成に二度会見し「寅さん映画が好き」などの貴重な証言を引き出す。また、西側メディア初の平壌支局開設にも尽力。

 1988年に外信部部長兼論説委員、1992年に編集局次長となり、1996年には共同通信を退社。日本大学客員教授、広島修道大学法学部教授となり、以降2008年まで国際関係論の教鞭をとった。退社後も毎年訪朝視察を続ける。日本のメディアの北朝鮮報道は、「自分たちの価値観で作った北朝鮮のイメージを見ているだけ」で「日本全体が実はあの国を見ていない」と言う。「私たちは北朝鮮の人たちとは違うシステムで生きているが、その違いを互いに理解する事はできる。その理解に資する報道を目指す事がジャーナリストに求められるのではないか」と語った。

   インタビュワー
主担当:竹内琢也、副担当:佐藤雪絵  

ゼミジャーナル

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