原田誠氏は1953年に香川県で生まれた。中国や台湾で仕事をしていた祖父の影響で、小学生の頃から中国、モンゴルをはじめとしたアジアの国々に興味を持っていた。大学でも中国語を勉強するつもりだったが、より広い可能性を考えて大阪大学法学部に進学。大学では中国語を本格的に学ぶ機会がないまま卒業し、日本放送協会に記者として入社した。 二ヶ月間の研修後、まず松江放送局、続いて山口放送局に配属される。警察回りや県庁詰などを通して、社会、政治、経済全般の取材をOJTで学んだ。1982年、隣に住んでいた中国研究者に同行して文化大革命直後の中国を訪れ、魅力に引きこまれた。経済部で中国やアジアを取材し、中国語を習得。1986年に外信部に異動。 外信部で中国・アジア担当を経て、1990年にシンガポール支局長に就任。湾岸戦争では、サウジアラビアに派遣されて現地リポートで活躍。「特派員として政治・経済・事件ネタだけでなく、そこに住む人々の暮らしを日本や世界に紹介する、というのが私の基本スタンスです」と語るように、市民目線の街ネタニュースにこだわり続け、朝の番組で「アジアリポート」のキャスターとなった。1996年に念願叶って中国支局長として赴任。鄧小平死去や香港返還の報道で、取材指揮やリポートにあたった。1998年からはBS放送で「アジア情報交差点」キャスターとなり、「暮らしの中からアジアが見える」として、アジアからの生中継を駆使した番組を企画制作した。2006年に中国総局長、2008年に国際放送局長を歴任した後、2011年に日本放送協会を退職。 2012年にNHKインターナショナル理事長に就任してからは、主にアジアやアフリカの放送局支援を行っている。長年、日本やアジアを取材してきた原田氏は、国際報道記者は「現地の生活に根差した情報を出していくことが必要」だと語る。国際放送には人材確保や受信料からの支出などの課題があるが、「全体として国際ニュースに対する興味が少なくなってきている」のが大きな問題で、一部の興味ある人はBSで見ているが、日本人の興味が内向きになり「世界全体を見ていかないと日本だけ取り残されるかも」と懸念を述べた。 インタビュワー主担当:加藤千暁、副担当:横井克宏