昨年からヤフーやDeNAなどのIT企業が国内で遺伝子情報解析サービスを開始した。唾液から摂取した遺伝子情報を元に将来発症するかもしれない病気を把握することができるサービスだ。今年7月には三井物産も遺伝子解析事業に取り組むことを発表した。同社は食事・食品分野を中心に遺伝子解析の知見を利用して自社のヘルスケアサービスの差別化を検討しており、遺伝子情報を活用したサービスは少しずつ身近になっていくだろう。
しかし究極の個人情報である遺伝子情報を企業へ提供することには不安を憶える。私たちの遺伝子情報が日常的に活用される日が訪れる前に、現行の遺伝子情報解析サービスについて調査した。
解析の流れとメリット
ヤフーの提供するサービスを例に解析の流れを説明しよう。解析の仕方は簡単だ。インターネットで解析キットを購入し、自分の唾液を採取して返送するだけである。サービスを提供している会社に届き次第、匿名化されて解析施設に送られ、1~2か月程度で解析作業が完了する。その後、ウェブ上で個人ページにログインすることで結果を閲覧できる。がんや心筋梗塞などの病気発症リスク(可能性)、そしてお酒の強さや太りやすさなどの体質についても解析可能だ。病気・体質併せて約290項目を解析可能で、料金は49,800円。解析されたデータを元に生活習慣の見直しや早期治療を行うことで、利用者の健康維持と医療費の削減が期待できる。
他社では解析項目を限定した低価格の解析キットを提供している。女性向けヘルスケアサービス「ルナルナ」を提供するエバージーン社では、10種類のがんの発症リスクを遺伝子解析するキットを4,980円で販売中だ(初回2,000個限定)。食道がん、子宮頸がん、前立腺がんなどの発症リスクを解析可能で、その他の検査項目は追加購入式で提供予定。提供が予定されているのは体質や生活習慣病の解析商品だが、「体質 遺伝子解析」の購入リンクは「6月以降開始予定」と表記されたままクリックできない状態だ。(2015年7月23日 現在)
解析結果は「平均と比べた病気のかかりやすさ」―遺伝子よりも生活習慣に注意すべき?
一旦、ヤフーの例に戻って解析結果について述べていきたい。この検査で得られる解析結果は「病気へのかかりやすさを統計的に示すもので、診断ではない」とヤフーは朝日新聞記事内で説明している。1 つまりこの解析は、利用者が平均的な日本人と比べて、ある病気に何倍かかりやすいかを明らかにするということだ。一方、利用者が実際に何パーセントでその病気にかかるかは解析できない。
ヤフーの公式サイトには「遺伝子検査でリスクを知って攻めの予防を!」「遺伝子検査で始めるこれからの健康管理」などのキャッチコピーが並んでいるが、「平均と比べて何倍かかりやすい」という情報を元に一般人が適切なリスク管理を行えるかは疑問だ。旭化成グループのシンクタンクである旭リサーチセンターは「遺伝子から推定される病気のリスクで、確率の高いものはほとんどなく、平均からのズレといっても多くの場合、生活習慣等の様々な背景因子の中に消えてしまう程の違い」であると報告している。
一方、遺伝子から推定できる病気のリスクで「確率の高い」例として、乳がんが挙げられる。乳がんには「家族性乳がん」と呼ばれるタイプがあり、これは特定の遺伝子を持っていると高い確率で発症してしまう病気だ。アメリカではアンジェリーナ・ジョリーが遺伝子情報解析を利用して乳がんが発症する前に乳房を切除した事例がある。しかし現在は日本を含めてほとんどの企業が、家族性乳がんのような特定の遺伝子が病気に深く関わる解析はしていない。この背景には、アンジェリーナが利用した企業が遺伝子情報解析キットの販売停止命令を受けたことがある。キットの診断精度には疑いがあり、利用者が実際には必要ない手術を受ける可能性や、必要な手術を受ける機会を逃す可能性があると指摘されたのだ。
以上を踏まえると、現行の遺伝子情報解析サービスでは、本当に発症リスクが高い病気について知ることは難しい。
遺伝子情報を提供するリスク―勤務先に遺伝子を求められたら?
次に遺伝子情報を提供するリスクについて確認したい。遺伝子情報を提供する際には必ず漏えいのリスクを考慮すべきだ。遺伝子情報は変更することができず、今後どんな活用方法が発見されて悪用されるか分からないからだ。例えば保険加入や就職活動の際に、遺伝子解析の結果によって不当な扱いを受ける可能性があると指摘されている。加えて遺伝子情報は血縁者と共有されているため、漏えいした遺伝子情報を元に家族や親戚が悪用の被害にあう可能性も考えられる。
当然ながら遺伝子情報を提供しないことが最善の防衛策だが、近い将来、あなたの勤務先で遺伝子情報の提供を求められる日が来るかも知れない。冒頭で紹介した三井物産では、関係会社が展開する社員食堂で遺伝子のタイプごとに肥満を防ぐ食事を提供する予定だ。今後、社員の健康管理目的で入社時に遺伝子情報の提供を求める企業が現れるかもしれない。
遺伝子情報解析ビジネスの展望
最後に遺伝子情報解析ビジネスの展望を紹介した上で、私たち消費者はそれらのサービスにどのように向き合うべきか意見を述べたい。
冒頭の通り三井物産は、遺伝子情報解析のノウハウを活用した食事・食品分野でのヘルスケアサービスを企画している。全容は不明だが、事業ターゲットとなる高齢者にも遺伝子情報を提供するメリット・デメリットを分かりやすく説明する姿勢が企業側には求められるだろう。
また遺伝子情報を広告に活用する動きもある。実際にヤフーは解析データを元にジムやサプリの広告を展開することを検討している。この件についてヤフーのヘルスケア企画部長は「広告はお客様が本当に欲しい情報に変わる」としながら、同社長は社会的な受容の面で「実現には高いハードルがある」との考えを示した。
今後も遺伝子情報解析の技術は更に進歩し、関連サービスも増えていくことが予想される。だが私たちが持っている遺伝子の情報は後天的には変わり難いものだ。解析技術や情報保護の信頼性が向上するのを待ってから遺伝子情報解析サービスを利用しても遅くはない。そして利用する際には、既存の医療サービスと比較して「遺伝子情報を提供しないとできないことなのか」検討してみることが大切だ。
注記
1 朝日新聞デジタル『遺伝子検査、のぞく不安 個人情報の管理/就職・保険加入の差別 朝日新聞社世論調査』http://www.asahi.com/articles/DA3S11322295.html
2 朝日新聞デジタル『ヤフー、遺伝子情報を広告に利用も 慎重な運用求める声』
http://digital.asahi.com/articles/ASGC75JT7GC7ULFA02K.html
参考文献
ダニエル・コーエン著 西村薫訳『希望の遺伝子 ヒトゲノム計画と遺伝子治療』(工作舎 1999年)
フロランス・ベリヴィエ/クリスティヌ・ノワヴィル著 桃木暁子訳『バイオバンク―先端医療を支えるインフラの現状と課題』(白水社 2011年)
参考URL
朝日新聞デジタル『米遺伝子解析企業、判定情報の提供中止 FDA警告受け』http://digital.asahi.com/articles/TKY201312090245.html
朝日新聞デジタル『遺伝子検査、のぞく不安 個人情報の管理/就職・保険加入の差別 朝日新聞社世論調査』http://www.asahi.com/articles/DA3S11322295.html
朝日新聞デジタル『ヤフー、遺伝子情報を広告に利用も 慎重な運用求める声』
http://digital.asahi.com/articles/ASGC75JT7GC7ULFA02K.html
朝日新聞デジタル『三井物産が遺伝子解析事業』
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11846753.html
旭リサーチセンター『FDAの警告で23andMeが遺伝子解析サービス中止』
http://www.asahi-kasei.co.jp/arc/topics/pdf/topics_050.pdf
日本経済新聞『米遺伝子検査ベンチャーに販売中止命令 』http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2700U_X21C13A1EB2000/
日本経済新聞『三井物産が遺伝子解析事業に参画 提供事業者に出資 』http://www.nikkei.com/article/DGXMZO89048280Y5A700C1000000/
ぶろぐ的さいえんす?『個人向け遺伝子解析サービス「ジーンクエスト」が始まったから試してみたよ (4)教えてくれないこと』
http://shimasho.blog.jp/archives/51916618.html