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土屋ゼミ2014年度<第3回>「日本一の高層ビル」から「日本一のスラム街」を歩く

「日本一の高層ビル」から「日本一のスラム街」を歩く
2015年1月11日 小林涼太

 大阪市阿倍野区の再開発が進んでいる。JR天王寺駅を出るとすぐ眼前にそびえ立つのは、今年完成したばかりの日本一高いビル「あべのハルカス」。天王寺駅の駅ビル「MIO」をはじめとして、ショッピングモール「Q’s MALL」、高層ホテルが入る「あべのnini」、複合商業施設「あべのルシアス」など近代的な街並みが広がり、その周囲には高層タワーマンションがニョキニョキと建っている。平日午後6時半頃、私は駅前に立ってみた。行き交う人の数の多さに圧倒される。「あべのハルカス」低層階に入る百貨店も、仕事帰りらしき小奇麗な格好をした人々でごった返している。

 しかし、この近代都市から地下鉄御堂筋線に沿って西へ15分ほど歩くと街並みは一変する。JR新今宮駅の南側、通称「あいりん地区」と呼ばれる日本最大の日雇い労働者の街が姿を現す。日雇いの仕事を終えたと思われる男性が歩いている。路上で酒を飲みながら座り込んでいる男性もいる。ガード下では、多くの人が寝袋やシートにくるまって横になっている。天王寺駅付近に比べてこのエリアは静まり返っている。日雇い労働のほとんどは朝5時頃から始まり、夕方には終わる。労働者たちにとっては、もう明日に備えて寝る時間だ。ここはかつて2万人以上の日雇い労働者を抱え、日本の高度経済成長、バブル時代を支えた街だ。しかしバブル崩壊後は日雇い労働の求人数も右肩下がりとなり、街の高齢化・人口減、仕事にあぶれた労働者の路上生活者化が問題となっている。その中に比較的若い労働者らしき男性を見つけた。何気なく付いて行ってみると、彼は自動販売機で缶チューハイを1本だけ買ったあと、重たそうな荷物と体を引きずるようにして「一泊1000円冷暖房つき貸部屋」と書かれた簡易宿泊所に吸い込まれていった。

 私が「あいりん地区」のことを知ったのは、昨年某インターネット掲示板を覗いていた時だった。多くの写真が投稿され、「日本一のスラム街」という説明がついていた。私は「日本にもそんな所があるのか」と強く興味をそそられた。調べていくうちに、私の住む東京にも規模は違えど同じような街があることがわかった。その町は旧地名で「山谷」と呼ばれ、現在の台東区の北東部に位置する。行ってみよう、写真だけでなく自分の目で見てみよう―そう考えて私は山谷へと向かった。そこで見たのは、大量のゴミとその中に住む路上生活者、ほとんどの店がシャッターを下ろした商店街、道端に座ってワンカップ大関を呷る人々だった。ぶつぶつと何かを呟きながら空中の一点を凝視して立ちつくすおばあさん、シャッターの下りた店の前で寝転がって意味不明のことを叫ぶおじいさん――「何だここは…。」強い衝撃を受けた。空を見上げるとそこには、日本一高い建造物「東京スカイツリー」がキラキラと輝いている。ゴミの山に埋もれた街の、まさにその上に立つようにして日本一のタワーが煌々と光を放っている…この矛盾は何なのだろう、と感じた。そして、あいりん地区へ行くことを決心した。自分が知らない世界を、自分の目で見てみたかった。そこで私が自分の目で見るものは、まだ学生である私が“社会”というものを垣間見るために、非常に重要な何かを孕んでいる気がした。私はすぐに大阪行きの夜行バスを予約し、2014年12月4日木曜日午後11時、バスに乗り込んで一路大阪へ向かっった。

 その翌日、私は初めて「あいりん地区」に足を踏み入れた。「兄ちゃん、なんぼ要るん?」と話しかけてくる麻薬の密売人らしき男性に恐怖を覚えながらも奥へ進み、路上生活者たちの段ボールハウスで埋め尽くされる「三角公園」に辿り着いた。その日も公園中央で火を起こして、数人の“住人”がその周りに集まっていた。話を聞こうと公園内をウロウロしていると、別の“住人”に「おい若ぇの、そこどけや。おめぇみたいのが来るとことちゃうで。」と追い払われてしまった。困ったなと思いつつ歩いていると、何やらダシの効いた良い匂いがしてくる。ふと横を見ると、「きらく」という看板を出している呑み屋がある。お世辞にも綺麗とは言えない建物だが、そこから良い匂いが漏れている。何か聞けるかもしれないと思い、また空腹であることにも気付き、中に入ってみた。店内には店主のおばあちゃんが薄暗いカウンターに立っているだけで後は誰もいない。「ホルモンうどん・そば・中華そば 一ツ玉300円」と書かれたメニューからうどんを選んで、食べながらおばあちゃんと話していると、労働者らしき男性が入ってきた。手をガクガク震わせながら、そして何か独り言をぶつぶつ言いながら店内に座ると、何やらわけのわからない言葉をおばあちゃんに向かって発する。「はい、そばね」と即座にそれを理解するおばあちゃんに畏怖の念を抱きつつ、彼に話しかけてみることにした。理解するのに苦労を要したが、彼は、自分が日雇い労働者であること、最近は仕事がなくて困っていること、仕事がなくて困っているのを利用して日雇い労働者を騙すような奴らがいることを語ってくれた。涎をダラダラとたらしながら、震える手で300円のホルモンそばを啜り、「わしらは生きることに必死じゃ」と彼は言った。

 最近、「日本の技術はスゴい」「日本の文化は素晴らしい」と声高に主張するTV番組が多くなったと感じる。グローバル化や新興国の台頭といったことを背景に、「日本ってホントにスゴいの?」と不安になる国民のニーズに合わせた、ある種のプロパガンダのようにも見える。そんなものばかり見ていると「日本ってやっぱりスゴい国なんだ」という気がしてくる。しかしそんな綺麗でスゴい国は、何を犠牲にして出来上がったのだろうか。何を葬り去って、何を埋め立てて、その上につくられたものなのだろうか。そこにこそ私たちは目を向けるべきではないか。その矛盾を感じることなく生活していくことに不安を覚えた。

 再開発事業を行って、ピカピカの「日本一の高層ビル」を作って、これが日本だ、近代都市だ、とするのは悪くない。日本のスゴい部分はたくさんある。しかし、そこから15分歩いただけで別の国に来たような光景が広がるこの現状に、目を瞑ったままでいいのだろうか。かつての日本経済を支えた街が静かに朽ちていくその隣に、汚いものを排除した綺麗な近代都市を作り上げて、これが日本だ、と世界に誇ることができるだろうか。日本社会の縮図をここに見たような気がした。

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