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土屋ゼミ2015年度 <第10回>神奈川県最後の養蚕農家

  土屋ゼミ6期 落合



 

神奈川県に住んでいる私の大叔父は、かつて養蚕農家だった。毎年数回蚕棚(カイコの飼育場)を作成し、絹糸を収穫する。幼い頃、私も何度か養蚕の過程を体験させてもらった記憶がある。 ところが、大叔父は2010年を最後に養蚕業をやめてしまった。財政悪化を理由に、国が養蚕農家への助成制度を廃止する方針を打ち出したことが原因だ。 大叔父だけでなく、神奈川県で養蚕を続けていた他の農家達も次々廃業へ追い込まれたらしい。そういう時代なのだろうと、当時の私は特に気に留めることがなかった。 しかしながら、最近大叔父の家を訪れた際、気になることを耳にした。それは、神奈川県ではまだ一人、養蚕農家が存在しているということだった。 この話を聞いて、ある疑問が生じた。国からの補助がない中、その農家は何を思い養蚕業を続けているのだろうか。 この疑問を解消すべく、私は大叔父からその農家を紹介してもらい、直接話を聞かせてもらうことにした。

神奈川県の県央地区。周囲に田園が広がる一軒家に、県下最後の養蚕農家であるAさん(83)は住んでいた。 Aさんは元々父親が養蚕農家であった影響で、小さい頃から養蚕業に関心があったという。そうした理由もあり、長年勤めた職場で定年を迎えた後、 本格的に養蚕業を始める。最初は右も左も分からない状態だったというが、次第に軌道に乗せていった。 当時の様子について、Aさんは「周りの養蚕農家が真綿の作り方を教えてくださり、何度も助けてくれたね」と感慨深そうに語っていた。

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(写真は蚕棚)

それから毎年、休まず養蚕業に向き合ってきた。カイコの魅力に取り憑かれ、より質の高い糸を収穫するべく、幾度も工夫を重ねた。 徐々に養蚕農家の数が減少していったものの、残った仲間達と共に養蚕業を続けた。そんな中、2010年に国の助成制度廃止が決まった。 当時神奈川県では12戸が養蚕業を営んでいたものの、Aさんを除いて廃業を選択することになる。 養蚕農家同士で富岡製糸場の見学会を開催するなど普段から交流を深めていたが、国産絹糸の需要低下という時代の流れに逆らうことができなかったのだ。 一方のAさんは業者から繭糸の生産を直接依頼されていたため、助成制度廃止が決定した後もなんとか養蚕業を続けていくことが可能だったという。 それでも現在は規模の縮小を余儀なくされ、全盛期と比べると飼育するカイコの数が大きく減少してしまっている。「もう趣味の領域ですけどね。 昔は何万匹と飼っていたけれど、今は千匹程度ですよ」。そう口にするAさんの表情は、どこか寂しげだった。

今後どうしていくのかという私の問いに、Aさんはきっぱりと答えた。「勿論養蚕業は続けていきますよ。最近の楽しみは、地元の小学生が訪問してくること。 養蚕体験についての感想の寄せ書きを頂いたりもして、魅力が伝わっているのかな」。実際に地元の小学校の校長や幼稚園の園長と連絡を取り合い、 毎年養蚕を体験する場を提供している。普段接する機会がないカイコを目の前にすると、子供達は大はしゃぎするのだという。 今や県下でただ一人となってしまったが、養蚕業を続け、次の世代に伝えていく。Aさんの強い意志が感じられた。

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(写真は出荷前の様子)

今回の訪問を通じて、感じたことがある。確かに、国内養蚕業が国から必要とされなくなっているのは事実だ。 実際、国内で養蚕業が最も盛んであった土地の一つである横浜でも、2006年にシルクの先物取引が終了している。絹糸は海外から安く手に入る。 国内でも数少なくなった養蚕農家を保護していくのは、合理的ではないのだろう。それでも、本当にこれでいいのだろうか。 養蚕は我が国の文化であり、かつては近代化を支えてきた産業でもある。何より、手塩にかけてカイコを育て、絹糸を生産しているAさんのような養蚕農家が日本にはまだまだ存在している。 こうした方々の思いをないがしろにし、経済的な合理性を追求していくことが正しいのであろうか。 見落としてしまいがちな人々の思いを、今回の訪問で改めて気付かされた。




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