土屋ゼミ6期 齋藤
2016年3月26日、東日本大震災で発生した津波により生徒ら84人が犠牲になった宮城県の石巻市にある大川小学校跡地が、震災遺構として保存されることが発表された。この小学校は津波の被害を象徴的に表す建造物として残すのか、取り壊すのか以前から話題になっていたが、ひとまず議論に決着が着いた形だ。しかし、これだけ多くの意見が飛び交った場所を震災遺構として残すにあたって、どの様に受け継いでいくべきなのか。生で見て考えたいと思った私は、父の実家が宮城県ということもあり、今回のニュースをきっかけに足を運んでみた。そこで感じ、考えたことを記していこうと思う。
2016年3月27日、私は山道を抜け、大川小学校跡地へと向かった。その道中は、未だに数多くの仮設住宅が見受けられ、東京では感じられない震災の爪痕が強く残っていた。五年経ち、関東に住んでいる私たちの周りでは薄れていく震災も、現地ではまだまだ復興への道のりは長いのだろう。そう感じながら一時間ほど市街地から車を走らせると、ようやく大川小学校の跡地へと到着した。先日のニュースを受けてか、私と同じように数多くの人々が訪れていた。そんな人々の間を抜けて進んでいくと、広めの校庭ほどの大きさの場所に、当時のままの姿を残す、小学校があった。建物は半壊したまま、教室はむき出しの状態でたたずんでいた。その光景に衝撃を受けながらも中を覗いてみると、以前使われていたであろうと思われるものが散乱していた。まるで少し前まで授業がされていたような状態である。本当に五年経ったとは思えないほど、その時の状態を色濃く残す様子であった。この跡地を見ればニュースで聞くよりも何倍も震災の悲惨さを知ることが出来る場であり、震災遺構としての重要性を強く感じた瞬間だった。
当時のありのままの姿を残す大川小学校跡地の中でも、特に印象的だったのは学校の壁に書かれた、東北地方出身の宮沢賢治が記した『雨ニモマケズ』であった。調べてみると生徒たちの卒業制作らしい。その壁画自体も津波で崩れていたが、それでも「雨ニモマケズ」という言葉だけは読み取れた。震災という大きな困難に会い、多くの尊い命が失われた場所で目にするその言葉は、私たちに再び立ち上がろうと強く訴えているような気がしてならなかった。これに関連して、俳優の渡辺謙氏が立ち上げた震災復興プロジェクトとしてメッセージサイト「kizuna311」で「雨ニモマケズ」の朗読動画も上がっているのでぜひとも見てもらいたいと思う。
http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/others/
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また、大川小学校跡地を見ていく中で悲惨さと共に感じたのは、この悲劇は防げなかったのかということだ。そう思った理由は周辺の山の多さであった。小学校のすぐ裏にはある程度の大きさの山があり、子どもでも登れるような傾斜である。それなのに避難が遅れたことで、これだけ多くの被害を出してしまった。このことについては未だに裁判が続いており、判決は10月になる見通しだ。行ってみて改めて感じる、助かったかもしれない命を考えると、やるせない気持ちになった。地元の人間では無い私でも感じるようなことを、どうして現地で対応できなかったのか。その光景は震災に対する対策の問題性を提起し、二度と同じような悲劇を起こしてはいけないと強く思わせるものであった。
今回の見学を終え、私は大川小学校を震災遺構に残すことについて改めて考えた。当時の悲惨な状況を色濃く残す姿は、実際に目で見ないと分からない震災の恐ろしさについて強い説得力を持っていた。また、先ほど述べた「雨ニモマケズ」のような跡地は悲惨さと復興へのメッセージ性を持つ特徴的なものだろう。それ故、今後の大川小学校跡地は広島の原爆ドームのような被災地の象徴になるかもしれない。
しかし一方で、大川小学校に関しては悲惨さだけを強調するのではなく、今も裁判が行われているように、避難時にいくつか問題があったかもしれないということも意識していかなければならない。それが今回、実際に足を運んで現場を見て思った大きな点の一つだ。周りに小学生でも登れるような山があり、助かったかもしれない人々がいた。初めて行った私が感じるようなことで、これだけ被害が出たと考えると、やはり人災の可能性もあったという面も重要である。それ故に震災遺構として残すに当たっては、震災の悲惨さを伝えていくと共に、津波対策に関する教訓といったことも大切になってくる。当時の防災対策がどうであったのか、実際の時にどれだけ効果があったのか。予想外の規模であった大津波に対しての対応と結果を、資料と共に被害が直接起こった場所で学べるようにしていくべきだ。そうすれば震災の恐ろしさと、次に向けての活かすべき多くの経験を知ることが出来る場になる。そうして、犠牲者の慰霊の場であり、未来に対する大きな役割を担う建物として、今後も保存されていって欲しいと私は強く思った。
(参照)
・復興、星に願いを 被災した宮城・大川小の壁画、ちぎり絵で再現 更級農高 /長野県 朝日新聞 2011年10月14日 朝刊 長野東北信・1地方
・大川小旧校舎、震災遺構として保存へ 84人犠牲 石巻 茂木克信 朝日新聞デジタル2016年3月25日
http://www.asahi.com/articles/ASJ3T52BRJ3TUTIL03H.html
・大川小の旧校舎、防災教育の場に 石巻市が保存を発表 /朝日新聞2016年03月27日 朝刊 2社会
・宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」は教室の光景で…/毎日新聞2016年4月4日東京朝刊
http://mainichi.jp/articles/20160404/ddm/001/070/165000c
・大川小訴訟 生存教諭の尋問せず 次回結審、9月に判決の見通し/宮城毎日新聞2016年4月22日 地方版
http://mainichi.jp/articles/20160422/ddl/k04/040/009000c
・「人災」か「予想できず」か 大川小訴訟、10月26日判決 朝日新聞2016年06月30日 朝刊 宮城全県・1地方
・大川小学校を襲った津波の悲劇・石巻
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_okawa.html
・<震災遺構>大川小保存表明「伝承に重要」 河北新報 オンラインニュース
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201603/20160327_13017.html
・旧門脇小学校及び旧大川小学校の震災遺構化に関する検討・調整結果 概要版(旧大川小学校)
https://www.city.ishinomaki.lg.jp/cont/10181000/9001/
houkokusyoagiyoubannkyuuookawasyou.pdf