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なぜ「ジャズ喫茶」はなくならないのか  

  土屋ゼミ6期 石阪

ジャズ喫茶とは?

ドアを開けると、大音量の音楽が外に漏れだす。店員に促された席に座り、他の客の迷惑にならないように店主の耳元で飲み物を注文する。店にある棚の多くの部分はCDやレコードのコレクションで占領されていて、一般家庭にはあり得ない大きさのスピーカーが目を引く。周りの席には、目を閉じ、腕を組み、うつむいている中年の客や読書をしている学生らしき客――。

1960年代から70年代前半にかけて全盛期を迎え、日本のサブカルチャーシーンを牽引したとも言えるジャズ喫茶。今では数は減ってしまったが、早稲田近辺で営業しているものでは喫茶店としての「NUTTY」と「マイルストーン」、生演奏を中心とする「Cafe Cotton Club」と「イントロ」の四店がある。昔からの名店が営業を続ける新宿や四谷に比べれば知名度は劣る早稲田だが、関東近郊から訪れる人もいるジャズの隠れた名所になっている。

レコードをかけるジャズ喫茶ではなく、ジャズの生演奏が行われるのは「Cafe Cotton Club」と「イントロ」だ。どちらも高田馬場駅近くにある。「イントロ」は地下にあってやや入りづらい雰囲気だが、ほぼ毎日ライブをやっている。毎週末にライブがある「Cafe Cotton Club」はオープンな作りで、ランチもやっている普段は普通のカフェ。ジャズの生演奏で有名なカフェだと知らない人の方が多いくらいだ。これらはジャズバーとかジャズクラブなどと言われていて、早稲田に限らず注意して街を歩いていると割とよく見かける。正確な数字はわからないが、業態としては純粋なジャズ喫茶よりも遥かに多いという印象を受ける。あなたが普段利用しているカフェも週末の夜はジャズクラブに変わっているかもしれない。

生演奏を聴くにはチケット代やチャージ料を払う必要があるが、ジャズ喫茶ではもちろんこれらは必要ない。ドリンク一杯数百円で一時間半から二時間は居座ることが出来る。レコードやCDのコレクションをBGMとしては考えられないほどの大音量で流し、多くの店では軽食やアルコールも出さずに粛々と営業している。そんな業態は、普段はおしゃれなカフェとして営業し、週末にミュージシャンを呼んで演奏させる店などに比べれば非常に特殊だ。

PM9:30 ジャズ喫茶をテーマに書かれたエッセーなどはそれなりに多く、業態だけではなくその中の様子の特殊さに言及しているものもある。

「こっちはまだ高校生ということもあったんだけど、店は狭くて暗いし、デカい音出てるし、客はみんなしんねりむっつりして腕組んでるし、こいつらなんなんだと思った。(中略)要するに、それまで自分の周りにあった景色とまったく違う。異様なわけ」(村井康司『ジャズ喫茶に花束を』河出書房新社 2002年) 「思わず耳をふさぎたくなるほどの大音量で音楽が鳴っている。(中略)霧がかかった夕暮れのごとく、目を凝らさないと何も判別できない。(中略)椅子に座る人たちの姿は人間の死体かミイラのようで、首をたらし不動のまま点在している。」(マイク・モラスキ―『ジャズ喫茶論』筑摩書房 2010年)

これらはジャズ喫茶全盛の60年代後半の証言だから、今はここまでストイックではないだろう。 高田馬場にある「マイルストーン」は置いてある本が充実していることで有名だし、他の店でもMacBookを広げレポートを書いている学生を見かけることも多い。しかし後で書くように、こうした雰囲気を複雑な思いで受け止めている人もいる。閉鎖的で時代から取り残されてきたようにも思えるジャズ喫茶だが、今はもう60年代後半の全盛期ではない。人々が音楽を聴くスタイルはすっかり変わってしまった。

ジャズ喫茶の今


多くの人がジャズ喫茶にわざわざ足を運んだ時代、その大きな理由の一つが「希少な輸入レコードは手に入りづらいから」だった。ジャズの本場はアメリカだ。ライブ演奏を聴けなければレコードに頼るしかないが、1ドル=360円の時代に簡単には手が出るものではなかったようだ。自然と、新譜が聴きたい人たちはドリンク一杯の値段で済むジャズ喫茶に集まった。  しかし時代は変わった。CDは簡単に手に入るようになり、さらにネットに接続出来ればいつでもどこでも好きな音楽をそれなりのクオリティで聴けるようになった。ジャズ喫茶に多くの人が足を運んでいた大きな理由の一つがなくなり、自然と客足は遠のいた。それでも、全てのジャズ喫茶がなくなった訳ではない。むしろ全体としての数は減りながらも、実は今でも新しく開業している店もあるくらいだ。

冒頭でも触れた早稲田の「NUTTY」は、今年でオープンして九年目になる比較的新しいジャズ喫茶だ。  「前にやっていた花屋を立ち退き処分になって。経営は危ないと思ったけど、子供は成人して自分達夫婦が食べていくぐらいなら、と決心しました。元々ジャズ喫茶をやるのが夢だったという訳ではありませんでした」と語るのは「NUTTY」店主のジャズ歴40年という青木一郎さん。今年で九年目ということで、団塊の世代が一斉にリタイアするとされていた「2007年問題」と関係があるのかと思ったがどうやらそうではないらしい。しかしリタイアした世代が、退職金で夢だったジャズ喫茶を始めるというのは実際に多いそう。団塊の世代が学生だった頃はジャズ喫茶全盛期。最近新しく始まる店があるのにはそういった事情もあるようだ。

新しく始まる店はあっても、全国的にジャズ喫茶というのは多くはない。「NUTTY」の入口には、「ミュージシャンの魂を聴き取れ!お食事のお店ではありません」という看板がかかっている。 「(ジャズ喫茶の)数が少ないから、お食事のお店と勘違いして入って来るお客さんも多い。時代ですね。本当は恥ずかしいのでこんな看板なしでやりたいんですが。ふるいにかけています」。  ジャズ喫茶を知らない人たちが増えたので、場所柄、ランチの店と勘違いされることも多いのだ。

ジャズ喫茶に来る人たちとは


では、音楽の楽しみ方も飲食店の形も多様化した今、「NUTTY」のような硬派なジャズ喫茶に来ている人たちはどういった人達なのか。  何度か同じジャズ喫茶に行くとわかると思うが、客層の一つは年配の常連だ。「NUTTY」に何度か行く中で、50歳代後半から60歳代の常連の方が複数人いて、その人たちにはよく遭遇した。 「早稲田の学生や教授の方もよくいらっしゃいますが、うちにわざわざ来るというのは正直言ってかなり特殊な人たち」。  青木さんはジャズ喫茶に足を運ぶ人のことをこう話していたが、念頭にあったのは常連の年配の方たちのことだろう。

早稲田大学には多くの音楽サークルがある。その中でも四つあるジャズ研の学生はよく訪れているという。学生の街ならではの客層だ。店内にいる時に誰がジャズ研の学生かは私には区別できないが、確かに「NUTTY」にも「マイルストーン」にも学生は多い。年配の方たちは、いかにもといった雰囲気で腕を組んで俯いていることが多いが、学生はスマホや読書、PCと自由に過ごしている人が多いという印象だ。

ちなみに私自身の初めてのジャズ喫茶体験は「NUTTY」で、友人に誘われてだった。高校生の頃からライブハウスには出入りしていたので店内の大音量は特に驚かなかったが、音質の良さや音の解像度の高さには驚いた。  まだジャズを聴くことに関しては多少背伸びをしている感じも否めなかったが、素直に感動できるほどの良い音がそこで鳴っていたのは間違いない。音楽が好きでジャズにも少し興味があったので、行ってみて損はなかった。こうしたライトな層も少なからずいるだろう。

また、お客さんの中には、私のような学生や常連だけでなく千葉の浦安や埼玉の上尾など遠方からわざわざやって来る人達もいるという。 「都市部を除けば、それだけジャズ喫茶がなくなっているということ。遠くからせっかく来てもらったお客さんにはガッカリして帰ってほしくないので、そういった時にはかなり気を使って選曲しています」。  遠方からのリピーターが出来るほど、訪れた人たちの心を掴んで離さない訳はその選曲にある。

レコメンド機能


曲は、聴いている時の様子を見てお客さんの好きそうなものを約二千枚のコレクションの中から選んでかけている。お客さんの好みを探りながら、且つ流れを切らさないように、というのはジャズ喫茶オーナーの醍醐味らしい。 「言葉を交わしてジャズ談義をするつもりはないんだけど、反応や表情を見たりコミュニケーションしながら曲を選びたい。スマホや読書始められちゃうと…。本当は目を閉じて聞いて欲しいです」と、かなりストイックな聴き方を本当は望んでいたのが意外だった。  最後に、ジャズ喫茶の魅力について聞くと 「うちの店に限らずジャズ喫茶のオーナーは音響にこだわっています。トランペットの細かい表情が分かるような良いスピーカーで、浴びるように良い音に触れて、人生観が変わるような経験をしてもらいたい。音楽をスマホで調べて自己完結させないで、別世界のものに触れて貰いたいですね」と語った。

最近、「Spotify」や「Apple Music」のような音楽の定額ストリーミングサービスが世界中で爆発的に普及している。これらのサービスの目玉はユーザーに最適な曲をレコメンドする機能だが、技術的にまだ不安定な部分も多い。実際私もいくつかのサービスを使用していたが、レコメンドされるのは同じ曲ばかりだったり、逆にまったく曲調の違うものが出てきたりする。丁度よい落としどころで、かつ新しい発見をしたいと思えば少し物足りないという人もいるだろう。

ジャズ喫茶では、人とのコミュニケーションの中で音楽を聴くことが出来る。ジャズというジャンルに限ればだが、オーナーの長年の経験と勘で、こちらの年代や音楽の知識など総合的な属性を判断した上でベストなレコメンドを受けることが出来る。別世界のものに触れて、もしかしたら「NUTTY」のオーナーの言うように、人生観が変わるような経験が出来るのかもしれない。

 初心者が聴いても間違いなく感動することが出来る音、そしてレコメンドする側によってもされる側によっても変わる、満足できる選曲のパターン。初心者からツウまで、聴く人にマッチしたジャズを常に最高のクオリティで聴くことが出来る。そんな魅力が、あの独特な雰囲気の喫茶店にはある。

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