【留学へ~理想と現実~】
私が留学を決めたのは、2014年の9月だった。茫然と、このまま就職活動をして、就職先を決めて、社会人になりたくない、という思いがあった。
また、まだ大学生生活を楽しみたい、という思いもあった。勿論、私にとっては第三言語である英語を完璧にしたい思いも無かったわけではないが、実際前述の二つのほうが強かった。
甘えだという人もいるだろう。実際、甘えだったと思う。とにかく、そんな不純な思いを抱いて私はロサンゼルスに飛んだ。
ロサンゼルスでの生活はとても刺激的だった。語学学校だったこともあり、様々な国から来た生徒と友達になった。
初めの一ヶ月は、映画好きだったこともあり火曜と木曜の夜は5ドル映画を見に行った。金曜と土曜はみんなでナイトクラブへ繰り出し、偶に開催される映画のプレミアに行き、ハリウッドスターを待って朝から友達と並んでサインを貰ったりもした。
しかし、それを常に繰り返していたかと言えばそうではなく、ロスでの生活はとてもお金がかかるので徐々に遊びに行くことが少なくなった。
それと同時に、私はどこか虚しさを感じていた。元々の理由が不純だったからというのもあるが、熱中してやれるものがないのだ。日本にいた頃はバイトや大学があったが、ロサンゼルスにはそれがない。
遊びは結局一過性のもので、長続きするものもない。暫くもしないうちに「お金を無駄にしに来たようなものだ」と思い始めていた。
【ハリウッドインターン~思いがけないチャンス~】
ハリウッドの映画制作会社ボランティアインターンをしないか、という話が来たのはそんな時だった。
語学学校の学生であるため、ビザの関係上通常のインターンのように「賃金をもらって働く」ことはできない。その代わり、料金をもらわず完全ボランティアという形ならインターが可能になる、とのことだった。
「君には映画への情熱がある。コミュニケーションもしっかり取れるから、ぜひチャレンジしてみてほしい」そう校長に言われて、私は、驚きのあまり空いた口が塞がらないという言葉を初めて体験した。
ハリウッド映画が大好きな私にとっては逃してはならないチャンスだ。「勿論、是非チャレンジさせてください」と私は即答した。
オファーをしてくれた制作会社は、個人PVやWebドラマシリーズから映画の予告編編集など、徐々に大きめな仕事を受け始めたばかり新しい会社だ。
在籍している正式な社員は全部で6名ほどで、13階建てビルの最上階の角部屋にオフィスを構えている。常駐しているのはボスで監督のノアさん、同じく監督のブラッドさん、そして、カメラマンのタダさんの3人で、
他の3人は殆ど現場に出ているか在宅で仕事をしているとのことだった。ノアさんは日本に留学をしていたこともあり日本語が堪能だった。
ちなみに、カメラマンのタダさんの名前はタダヒサさんで、日本の方だ。ノアさんが日本に留学していた時に出会い、意気投合してロスで一緒に仕事をすることになったのだという。
複数の学校にオファーをしていたようで、インタビューを経て無事、私が在籍する語学学校からは私を含め三人選ばれた。
もう二人はドイツから来たマークとマーヴィンで、二人とも将来映画監督になりたいという夢があった。このメンバーで、約一ヶ月半のインターン生活が始まった。
ハリウッドまで足がなかったので(誰も車を持っておらず、ロスのバスや電車などの公共交通機関は遅れることが常だった)、毎回ノアさんがUBER(アメリカの個人タクシー。通常のタクシーより値段は安く、サービスが良い)で送り迎えをしてくれた。
「出費は大変じゃないですか」と聞くと、「君達を雇うのに僕らはお金を渡せないから、その働きに見合ったものくらいは提供しないとね」とノアさんが笑ってくれた。それで一層、気合を入れて頑張ろうと思った。
【インターン前期~デスクワーク~】
インターン前期は、事前に撮影された映像の編集や、会社が新しく立ち上げるホームページのサンプル用映像を分 類するなど、簡単な仕事がメインだった。
パソコンは当然全部英語だったので、ファイルを分類するだけでもかなりの時間を要した。初回こそ緊張でガチガチだった私だったが、マークやマーヴィンが気を紛らわせてくれたりと、色々気を使ってくれた。
二回目からは本格的な編集ソフトを使っての仕事になり、編集ソフトに触れたのが初めてで私自身が不器用だったため、なかなか勝手が分からずに失敗を繰り返してしまった。同じ質問を五度目くらいした時だった。
「すみません、何度も…」と、申し訳なさが込み上げてその日何度目になるかわからない謝罪を口にした時、ノアさんが笑いながら言ってくれた言葉が今でもはっきりと思い出せる。
「謝ることはないよ、君は初めてなんだからね。初めてなんて皆そんなものさ、出来ている方が僕は怖いよ。
それに、訊くことは悪いことじゃない。むしろ、君が学ぼうとしてくれるのが分かるから僕は聞かれた方が嬉しい。」
日本にいた頃、バイト先で同じ質問をすると叱られたことがあった。「それ、もう言ったでしょ?なんで覚えてないの」そう呆れて言われると、質問するのに気後れして、対処法が分からないまま接客し失敗をしてしまった。
すると、先輩から「なぜ聞かなかったの?」とまた叱られた。その循環が何度もあり、なんとなく質問をする=悪いこと、という数式が自分の中に出来上がっていた。
それが、ノアさんの言葉によってきっぱりと覆された。感動で思わず涙目になっていたと思う。(マークが撮ってくれた編集作業をする私)
【インターン後期~現場へ~】
インターン後期は現場に数度出た。初めてノアさんから「現場に出てみよう」と言われた私は、不安で仕方がなかった。
私は日本で一度、自主制作映画の助監督として現場に入ったことがある。右も左も分からない状態で、「見て学べ」な現場を仕切るのは本当に大変だった。不器用だから見ても学べないのだ。
ボールド(テレビで良く見るあの「カチンッ」と音を鳴らすもののこと)で合図を出さなければいけないのに、鳴らし方が下手で音が「カシッ」としか出なかったり、鳴らした後カメラに映る範囲から出なくてはならないのだが、
その退出路線も分からず音声さんにぶつかったり、監督を促すのも仕事だったが知らずに撮影スケジュールが押してしまい、結果として移動飯になってしまったりということもあった。
また、撮影スケジュール変更を連絡しなかったため、撮影先に迷惑をかけてしまったこともあった。そして、一番覚えているのが嫌味だ。「遅れたのは君のせいだよね?わかってる?」「なんでみんなのご飯遅れたのにヘラヘラしてるの?」
「早稲田なのに全然使えないですね」年下のアシスタントさんや給仕係さん達に言われた一言一言は全て覚えている。こう言う時ばかり、記憶力がいい。
アメリカで学んだ監督や総指揮さん、音声さん、役者さんなど庇ってくれた人がかなり居たが、当然自分が悪いという自覚もあり、悔しさとやるせなさ、もどかしさで押しつぶされそうだった。
何をするにも怖くなり、頑張ろうとするあまりから回ったりもした。この一生であんなに泣いた回数が多いのはこの撮影期間だけだとはっきり言えるくらい、何度も何度も悔しさで泣いて、いっそ仕事を投げ出して帰ろうか、この場で死んでやろうか、などと思ったこともあった10日間だった.
そんな経験があったので、ハリウッドでの現場入りは本当に怖かった。またあの時と同じことを言われるのではないか、とかなりビクビクしていた。現場に到着すると、ノアさん初めタダさんやブラッドさんに手取り足取り勝手を教えてもらい、やることのリストを渡された。
リストがあるのは基本なのだという。指示は同時に複数個出さず、また複雑なものはゆっくりとノアさんが説明をしてくれた。
日本の現場と違い、見て習えではなく、しっかりマニュアルがあった。ノアさんの好意でアシスタントのリハーサルもあり、私たち三人はすんなりと、難なく現場に溶け込むことができた。
しかし、経験がないのには変わらず、失敗もたくさんあった。ノアさんたちは笑って殆どを流してくれたが、本番でマークがうっかりカメラに入ってしまった時は、流石に怒られる、と思った。
そんな心配をよそに、キャスト含めスタッフたちは、「マークの入り方もっとしっかりしてたらエキストラだな」と笑っていて、とても驚いた。日本のような撮影中ずっと緊張が続くというわけではなく、笑顔も多く、ちょっとしたNGに皆で転げ回るように爆笑した。
数度ある撮影で、どうしても気になってノアさんに「どうして叱らないんですか?」と聞いたことがある。すると、ノアさんはこう言ってくれた。
「叱ってもそれは相手が萎縮するだけで効率が良くないのからね。日本では、期待しているから、気にしているからと言って叱ることがあるけど、僕は違うと思う。
叱れば空気も悪くなるし、気まずさが残って楽しさがなくなる。それなら楽しくやってほしい。僕は期待しているから、叱らない。楽しいという思いを大切にしたいからね。
ハリウッドでは殆どそうじゃないかな。怒鳴ったり叱ったりする人がいる現場は沢山人が離れるから、続かないんだ。」
日本とハリウッド、どちらがいいというのははっきり言うことはできないが、私にはハリウッドの方が合っていたと思う。
のびのびと自分のペースでストレスなく仕事をすることができる。立場も上下関係なく、フラットでフレンドリー。大変だけど、みんなが飛び込んで行きたい理由がわかった気がする。
【インターン最終日~初めてのレッドカーペット~】
インターンの最終日、ノアさんは友人の映画のプレミアに連れて行ってくれた。監督兼主演はコメディ界で有名な人で、一度アルコール中毒になりそこから立ち直って、本人が経験したアルコール中毒を題材にしたコメディのインディーズ映画だった。
場所こそ少し小さい劇場だったものの、集まった人は多く、またメディアのカメラもあり立派なプレミアだった。初めて招待者として踏ん だレッドカーペットはふわふわで、足が浮いているような気分だった。
「いつか自分たちの関わった映画でレッドカーペットを踏めるといいね」とノアさんと笑い合った。(左から、ノアさん、マーヴィン、私、マーク。プレミアへ参加するという連絡が遅れたため、私だけTシャツにジーンズだった。)
ハリウッドのボランティアインターンはあっという間に終わった。日本にいてはできないような経験、留学していてもなかなかできないであろう経験をたくさんさせてもらった。
文化の違いに戸惑うこともあったが、楽しんで仕事をすることができたし、何よりアメリカのワークスタイル、ハリウッドのワークスタイルを味わうことができたのが私の一番の収穫だ。
チャンスがあれば、また向こうに戻りたい、と思うことがある。ハリウッド映画に、直接携わることができれば、何よりだと思う。